豊原寺跡の歴史 (back>

豊原寺跡の地図 養老年間(717〜724)、この地に『あか井戸の池』を発見した泰澄大師が、清流のほとりに創建したと伝えられるのが豊原寺である。

 中世には、一帯に講堂・坊舎が並び立ち、豊原三千坊として白山平泉寺と並称されていた。
 薬師の縁日には参詣者が境内を埋めて、門前市まででき、丸岡町の文化はここから始まったとさえいわれている。

 戦国時代には、三千坊の僧兵がときに一向一揆に抗し、ときにはこれと和して、国内の一大勢力となった。
 しかし、天正3年(1575)の織田信長の一揆討伐にさいしては一揆の拠点になり、全山灰燼に帰した。
 同年、一揆討伐の軍功により、北ノ庄城主になった柴田勝家は、甥の勝豊をこの地の領主とした。
 入国した勝豊は寺跡に居館を築いたが、翌天正4年、丸岡に新たに築城して豊原を去った。

 近世に入って、寺は、福井藩の手により復興されたが、すでに往時の面影はなく、
 明治維新のとき廃寺となった。

 現在は、わずかに残る石垣と、散在する石仏・石塔の破片などに、往時をしのぶだけになっている。
 近くに豊原の滝があり、夏には涼を求めて訪れる人たちも少なくない。

 豊原の地は、戦後まで、住人がいたが、戦後放棄されてしまった。
 豊原の地には、私が秋に栗拾いやあけびを取りに行った小学生の昭和40年(1965)頃にも、寺院の石組みのようなものが残っていたように思います。


 交通:本丸岡バスターミナルから上竹田方面行バス10分田屋下車、徒歩30分
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