古城・丸岡城(霞ヶ城)の伝説 (previous next)

    歴史的な丸岡城の天守にも、その石垣づくりに悲しい人柱伝説が残っている。

丸岡城の伝説 その1 (down)

丸岡城の天守 一度ならず一度、三度と崩れ落ちる石垣に、ついに人柱を立てることになった。そこで選ばれたのが、美しい生娘でなく、お静という夫に先立たれた後家。しかも、二人の子持ちのうえ、片眼を失明していた。
 お静は、二人の息子を侍に取り立てることを条件に、石垣の底奥深く埋められた。お陰で石垣積みは見事に完成し、その上に天守も立った。
 だが、お静の約束は、果たされなかった。
 お静の怨みは、やがて亡霊となり、その姿は片眼の蛇となって城の井戸深く棲みつくようになった。そして時折現れては、恨みごとを述べたという。今もその井戸は、本丸跡に『蛇の井』と呼ばれて残っている。
 また、お静が人柱に立たされた四月中旬になると、きまって長雨が降り続き、これがまた、誰いうことなく『お静の涙雨』と呼ばれるようになった。
 堀の藻を刈り取る時の作業唄にも、『堀の藻刈りに降るこの雨はいとしお静の血の涙』と唄われるようになった。

 『蛇の井』と呼ばれていたかどうかは記憶にはないが、地元に育ち、お城のまわりを遊びまわった子供の頃、たしかにお城には、防護網を掛けたそう深くもない空井戸があった。

 
丸岡城の伝説 その2 (up down)

 ある時、奇襲によって、城は幾重も包囲された。老いも若きも剣、弓を手にとって防戦につとめた。敵前にむかった男どもは全滅。美しい姫が女中どもの指揮をとった。
 姫はつぶらな眸に無念の露を湛えて『生きて落城の憂き目を見んよりは、死してなお城を守らん』と、して玉の肌の紅葉を散らせた。
 敵勢は破竹の勢いをもって、軍馬を進め、ついに出丸の攻略にかかった。その折、俄に霞が吹き出した。敵兵の一寸前は闇と化した。
 ここで、寄せ手は退却、城は無事であったが、この霞は姫の化身だった。今もこの伝説の井戸が天守入口近くに霞の井戸として残る。

 やはり、私が知っている言い伝えの、『美人のお姫様が人柱になり、築城後は、お城に危機が迫ると大蛇になって、霞を吐き、お城を隠し、守った。』というほうが夢があると思う。(前の伝説1と次の伝説3の話がゴッチャになってしまったのかと思ったことも?)

 
丸岡城の伝説 その3 (up)

霞山にある丸岡城  城の別名『霞ヶ城(かすみがじょう)』にちなむもので、そのいわれは、もともとこのお城には守護神の大蛇が棲んでいて、いざの時に、霞を吐いて城を包み隠すからだというのである。

 元来、この地は『継体(けいたい)天皇』発祥の地で、城のあるこの丘は、天皇の第二皇子椀子(まるこ)王を葬った所と言い伝えられている。
 古くは、『麿留古平加(まるこのおか)』と呼ばれていた。それが『丸子の岡』となり、やがて『丸岡』という地名を生んだとされる。
 だから、この椀子皇子が大蛇に化身し、霞を吐いて、この地を守護してくれるのだという。

 しかし、実際には、この地方は九頭竜(くずりゅう)川の支流竹田川が流れていることもあって、気象的に朝な夕なに霞がよく立ち込める多雨多湿の土地であるというのが、本当のところのようだ。

 たしかに、昔よりは、河岸工事も進んだせいもあり、発生頻度は減ったかもしれないが、今私が棲んでいる秦野盆地などと比較しても、霧や霞(もや)の発生頻度は多かったように思う。


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