城地の東裾と北裾とを阪内川と矢津川が洗い、西側と南側には深く谷が入って自然に要害の地を形成している。 応永22年(1415)、北畠満雅が阿坂城で室町幕府に反旗をひるがえしたとき、築城して弟顕雅を篭城させたという。 以後、顕雅の子孫が居城し、大河内御所を称した。 永禄12年(1569)、織田信長が南伊勢攻略の大軍を発したとき、伊勢国司北畠具教は本拠を多気(旧一志郡美杉村)よりこの城に移し、補強して信長の軍勢を迎えうった。 八月末より一ヶ月余りも戦いは続いたが、北畠軍は利あらず、信長の二男信雄に家督を譲る条件で信長の軍門に降り、具教は城を退去した。
現在は、本丸跡・二の丸跡・西の丸跡と呼ぶ台状地や平坦な馬場跡、土塁や堀切りが城のおもかげを残すにすぎない。 城は北へ突き出た丘陵突端部にあり、登城口沿いの南側には、搦手門跡の石碑のある搦手口があり、その上にはしっかりした石垣が組まれています。 東側には、下から二の丸、本丸があり、さらに「まむし谷」を挟んで西の丸があり、それぞれに神社の社が建っています。 |
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本丸跡 | ||
![]() 本丸への登り口から見た 本丸跡東側の石垣と土塁(南方面) | ![]() 本丸跡入口からの神社の社務所と 鳥居、石灯籠(北方面) | ![]() 本丸跡東端中央に立つ 本丸跡石碑 |
![]() 本丸跡北端からの本丸全景(南方面) |
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西の丸跡 | ||
![]() 本丸跡西端からのまむし谷に かかる橋と西の丸土塁 | ![]() まむし谷にかかる橋からの西の丸跡の石碑と土塁(東面) | |
![]() 西の丸入口からの西の丸跡 (南側部分) | ![]() 西の丸入口からの西の丸跡 (中央部北西方面) | ![]() 西の丸入口からの 西の丸跡東側土塁(北方面) |
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三重県指定史跡 大河内城跡 平成22年5月1日時点 | |
◇所在地 | ・三重県松阪市大河内町城山525外 |
◇交通 |
・JR紀勢本線 松阪駅から11,12,14系統辻原方面行きの三重交通バスに約20分乗り、 「大河内」下車、国道166号線沿いに松阪駅側に約300m北上し、 「大河内地区市民センター」を左へ入る、約250m西へ進み、 つきあたりの「西蓮寺」前を右に折れ、すぐを左折し、搦め手跡前を通り、 上がりきった神社の鳥居が二の丸跡です。 (「大河内地区市民センター」から徒歩約5分) ・伊勢道 松阪ICを出てすぐ、県道59号線を右折し、約4.5km南下、 丹生寺交差点を右折し、国道166号線(和歌山街道)に入り、 約7km南下し、「大河内地区市民センター」入口を右折し、駐車場へ |
◇駐車場 |
・搦め手跡手前右側に駐車スペースがありますが、「西蓮寺」前から先道路が狭いので、 ・「大河内地区市民センター」向かい側の駐車場に停めて、歩いた方が安全。(徒歩約5分) |
◇問い合わせ |
・大河内地区市民センター TEL:0598-36-0001 ・松阪市教育委員会事務局 文化課 TEL:0598-53-4393 |
参考文献 | ・現地の松坂市教育委員会の説明板 |