峯城跡

―― 石垣を持ち、瓦葺きの建物が存在したと考えられる天守台のある城 ――

説明板と反対側の山西側登城口にある城址標識
説明板と反対側の山西側
登城口にある城址標識
農協手前の農道を入った所から見た城跡遠望(南東面)
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農道に入った所から見た
城跡遠望(南東面)
 峯城は、安楽川と八島川にはさまれた標高85m程度の丘陵上に位置する山城で、正平年間(1346〜70)に関盛忠の五男峯政美が築城したと伝えられる。
 以後峯氏六代の居城であったが、天正2年(1574)、峯八郎四郎が伊勢長島で討死したため峯氏は滅亡した。

 その後は岡本宗憲が城主になったとされるが、天正11年(1583)羽柴秀吉の北伊勢侵攻、翌12年小牧長久手の戦いの前哨戦により二度の争奪戦が繰り広げられた。
 天正18年(1590)岡本宗憲が亀山城に移されるにあたり廃城にされたと伝えられる。

 中心郭の北・西・東側には高い土塁が廻り、一段高い土壇は天守台と伝えられる。
 伝天守台は石積の痕跡が見られ、周辺には瓦が散布していることから、石垣を持ち瓦葺きの建物が存在したものと考えられる。

杉の木が植林されて見通しの悪い一の郭跡(東方面)
杉の木が植林されて
見通しの悪い一の郭跡
(東方面)
平坦な天主台上部
平坦な天主台上部
 
 中心郭の北にはいわゆる虎口も見られ、室町末期から安土桃山時代にかけての城郭の姿が良好に遺されており、中世城郭から近世城郭への過渡期の状況がうかがえる全国的にも希少な例である。

[ 峯城跡平面図 1:3000(内田奥範氏図による) (116kB) ]

 JAのある交差点を右折して農道に入ると左前方に白い説明板が見える小高い山(標高85m程度)が峯城です。
 登城口は、この説明板から山を左周りに一部沼地化している平坦地をいくと、標柱がありそこから登れます。
 主郭の西側には天守台や、それに続く土塁があり、さらに北に進むと2つ曲輪があり、それぞれには虎口や櫓台が確認できましたが、いずこも藪だらけで、写真撮影には不向きでした。

登城口前からの城跡西側の平坦地(南方面)
登城口前からの
城跡西側の平坦地(南方面)
一部沼地化している城跡西側の登城口前の平坦地(北方面)
一部沼地化している城跡西側の
登城口前の平坦地(北方面)
竹薮化している二の郭跡(南方面)
竹薮化している二の郭跡
(南方面)
二の郭跡から一の郭東側入口への帯曲輪(北方面)
二の郭跡から一の郭跡東側
入口への帯曲輪(北方面)
一の郭跡西側の天主台への土塁
一の郭跡西側の天主台への
土塁
一の郭と三の郭をつなぐ土塁(南方面)
一の郭と三の郭をつなぐ
土塁(南方面)
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 峯城跡                                     平成22年4月30日時点  
◇所在地 ・三重県亀山市川崎町森字殿町
◇交通 ・JR関西本線 井田川駅から、県道640号線、県道639号線を北西方面へ進み、
   国道306号線を北上し、八島橋東詰を左折して、
   「JA鈴鹿・川崎支店」手前の農道を右に入る(約4.5km)
・東名阪道 鈴鹿ICから、県道560号線を700m程北上、国道306号線を左に入り、
   5.3km程南下、八島橋東詰を右折し、八島川を渡り、200m程西に進み、
   左手「JA鈴鹿・川崎支店」手前の農道を右に入ると、左手前方の小山
   (麓に説明の白い板が見える)
◇駐車場 ・特になし、説明板手前の農道の路肩を利用
◇問い合わせ亀山市観光協会   TEL:0595-97-8877

参考文献 ・現地の亀山市教育委員会の説明板

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