松ヶ島城跡(別名:天守山)

―― 八年余の短命だった織田信雄が築いた、五層天守の城 ――

西側からの天守山と城跡碑
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西側からの天守山と城跡碑
北側からの天守山
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北側からの天守山
 松ヶ島はかっては保曽久美(細汲、細首とも書く)といい、参宮古道に沿い、三渡川の河口を控えた海陸交通の要衝であった。

 天正8年(1580)、織田信雄(信長の二男)は南伊勢統治の居城を田丸城(度会郡玉城町)からこの地に移し、松ヶ島城と称し、五層の天守がそびえていたという。
 その後、信雄の家臣津川義冬、滝川雄利を経て、同12年、豊臣秀吉の武将蒲生氏郷が十二万石の大名として入城した。

 ところが、氏郷は四五百森に着目して築城し、新城下松坂城に移り、本城下の町人や社寺はすべて強制移住させられて、松ヶ島は瞬時にしてもとの一漁村に変容した。

東側からの天守山と城跡説明板
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東側からの天守山と城跡説明板

城裏門を移築したと言われる松阪市愛宕町の竜泉寺山門(表側)
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城裏門を移築したと言われる
竜泉寺山門(表側)
城裏門を移築したと言われる松阪市愛宕町の竜泉寺山門(内側)
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城裏門を移築したと言われる
竜泉寺山門(内側)

 古図や検地帳には天守跡・堀之内・丸之内・城の内。南之内・日の丸といった城郭名や、殿町・本町・西町・紙屋町・ほうく町・鍛冶町という町名が見え、往時の繁栄をしのばせる。

 ここに残る指定地は、俗に天守山と呼ばれ、付近から金箔をおした古瓦片などが出土しており、本丸天守の跡と考えられる。

 細い道を歩いてゆくとビニールハウスの向こうにこんもりとした丘が、右手に見えます。  なぜか、石碑と説明板が東、西にバラバラに建っています。

 松ヶ島城跡                                平成22年5月1日時点  
◇所在地 ・三重県松阪市松ヶ島町字城ノ腰
◇交通 ・近鉄山田線 松ヶ崎駅から徒歩約15分(約1.7km)
・松阪駅北方を走る国道23号線(南勢バイパス)の「松ヶ島町」信号を東に入り、
   約500mほど進んだ突き当たり(県道699号線)手前の左側道路脇に
   車を止めて、突き当たりにある城址碑への案内板のある路地を
   400m程道なりに進むとビニールハウスの右前に天守山があり
◇駐車場 ・特になし、県道699号線手前の左側道路脇を利用
◇問い合わせ松阪市教育委員会事務局 文化課   TEL:0598-53-4393

参考文献 ・現地の松坂市教育委員会の説明板

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