鹿伏兎(かぶと)城跡(別名:牛谷、白鷹城)

城主居館跡ともいわれている「神福寺」の境内
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城主居館跡ともいわれている
「神福寺」の境内
登り道からの郭1北西側虎口と城址説明板
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登り道からの郭1北西側虎口と
城址説明板

 鹿伏兎は、鈴鹿川一帯を支配した戦国武将関氏六代盛政の四男の四郎盛宗(鹿伏兎氏祖)によって南北朝時代の正平年間(1346〜69)に築かれた。
 はじめ「牛谷城」と呼ばれたが、鹿伏兎氏七代定好の代に修築して鹿伏兎城と呼称を改め、城郭を整えた。
 また、天文11年(1542)に定好の子である鹿伏兎定長が、時の将軍である足利義晴に白鷹を献じたことから「白鷹城」と呼ばれるようになった。

 その後、天正11年(1583)に九代定義は、豊臣秀吉の軍勢に敗れ、鹿伏兎城を捨て、この地を去った。
 現在でも、標高264mの山頂付近には、75x60mの台地上に土塁、石垣、井戸が現存し、往事の面影をしのばせている。

山麓から続く道沿いの郭1西側虎口下の石垣
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山麓から続く道沿いの
郭1西側虎口下の石垣
郭3にある井戸跡
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郭3にある井戸跡
[ 鹿伏兎城への案内図と縄張り図 (55kB) ]

 鹿伏兎城は、JR加太駅の背後の山に築かれており、駅の西側の線路を渡った所にある神福寺の山門前に石碑と縄張り図付きの説明板があります。

 神福寺の境内は城主居館跡と言われており、その西側の墓地裏から山道を20分程登ると山頂の城跡へ着きます。
郭1南部の山頂部内部(物見台跡?)(西方面)
郭1南部の山頂部内部
(物見台跡?)(西方面)
郭1南部の山頂部内部(物見台跡?)(東方面)
郭1南部の山頂部内部
(物見台跡?)(東方面)
郭1南部の山頂部からの加太集落(南西方面)
郭1南部の山頂部からの
加太集落(南西方面)
物見台跡?の土塁と北側郭1内部(西方面)
物見台跡?の土塁と
北側郭1内部(西方面)
郭1北西側虎口にある城址標識と説明板
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郭1北西側虎口にある
城址標識と説明板
郭1最北端への土塁と櫓台跡?(北西方向)
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郭1最北端への土塁と
櫓台跡?(北西方向)
郭2北側の土塁(西方面)
郭2北側の土塁(西方面)
郭3への郭2の下の帯曲輪
郭3への郭2の下の帯曲輪
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 鹿伏兎城跡                                   平成22年4月30日時点  
◇所在地 ・三重県亀山市加太市場
◇交通 ・JR関西本線 「加太駅」からすぐ西側に見える人専用踏切を渡り、
   「神福寺」の西側の登城口から北山頂上(標高264m)を目指します。
・東名阪道 亀山ICから、国道1号線(東海道)を関宿の方に進み、
   そこを過ぎて新所町信号を左折し、国道25号線(旧道:大和街道)に入り、
   加太駅前まで4.5km程西へ進む
◇駐車場 ・加太駅前の無料駐車場を利用
◇問い合わせ亀山市観光協会   TEL:0595-97-8877
・亀山市教育委員会  TEL:0595-84-5078

参考文献 ・現地の関町(現亀山市)教育委員会の説明板

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