古城(ふるしろ)

―― 三つの川が合流し、巡見道が走る交通の要衝の城 ――

城域の東側に建つ唯願寺(東北面)
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城域の東側に建つ唯願寺
(東北面)

 
 
曲輪1北側の三重の空堀(北方向)
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曲輪1北側の三重の空堀
(北方向)
 古城跡が所在する川崎町は、安楽川と八島川、御幣川が合流し、安楽峠越えの街道や近世には巡見道が走る交通の要衝であった。
 周辺には、落山城跡や野元坂館跡、青館跡があり、特に峯城跡は八島川対岸に位置する。

 城跡は、八島川左岸、川から約10mの高さの河岸段丘上にある。
 南側に谷が入り込む急斜面を選地しており、自然の地形を巧みに利用した築城といえる。

 主郭となるのは、周囲に土塁が巡らされた曲輪1で、東側が開口し虎口2が設けられる。
 この虎口は南側の土塁幅が広く、横矢が掛かる。
 また、曲輪1には北西側にも虎口状の土塁開口部があり、横堀3へ通じている。
城域西側の高い土塁の残る横堀3
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城域西側の
高い土塁の残る横堀3
 曲輪1の北側は、土塁と堀を連続して配置することで防御を固め、さらにそれらを屈曲させることで横矢を掛けるといった構造をしている。

古城跡縄張模式図(S=1/150)
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古城跡縄張模式図(S=1/150)
 
 
 このような複雑な構造は、築城当初のものではなく、天正10年(1583)とその翌年、羽柴秀吉軍が峯城を攻めた戦いの中で改修されたものと考えられる。
 ただし、横堀が峯城側に設けられている点や、「九々五集」に「秀吉公ハ川崎村ニ本陣シ給ふ」と記されている点から、羽柴方の陣城とする見解がある一方、峯城への侵攻路を押さえる位置に虎口が設けられている点から、峯城方の支城とする見解があり、改修時の築城主体については明らかではない。

 古城跡の築城にいたる経過や時代背景は不明である。
曲輪1東側への虎口2の道路に面した開口部
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曲輪1東側への
虎口2の道路に面した開口部
 しかし、八島川のまさに対岸に峯城跡が位置することから、峯城跡に対する「古城」で、峯築城以前はここが峯氏の居館であった可能性がうかがえる。

[ 古城跡周辺位置図(1:10,000) (72kB) ]


 八島川へ下る道路の左側にはすでに深い空堀があり、その道路右には主郭正面への虎口が確認できますが、中は竹と藪だらけで主郭へは侵入できませんでした。
 唯願時の左横を進み城域に北側から入るとすぐに高さのある土塁と3重の空堀、長大な横堀が目に入ってきます。
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虎口2前から八島川へ下る道
虎口2前から八島川へ下る道
曲輪1北側の土塁(北面)
曲輪1北側の土塁(北面)
城域西側の横堀3(南方面)
城域西側の横堀3(南方面)
曲輪1東側の土塁(南方向)
曲輪1東側の土塁(南方向)
竹と藪だらけの曲輪1内部(南方面)
竹と藪だらけの曲輪1内部(南方面)
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 古城跡                               平成22年4月30日時点  
◇所在地 ・三重県亀山市川崎町一色字野畑3230
◇交通 ・JR関西本線 亀山駅から三重交通バスで「川崎バス停」下車、
   すぐ北側の路地を左に入り、徒歩5分
・東名阪道 鈴鹿ICから、県道560号線を700m程北上し、
   国道306号線(巡見街道)に入り、4.5km程南下し、
   「川崎バス停」手前の右側の一色部落への細い路地を150m程入ると
   一色公民館、唯願寺(ゆいねがいじ)前に
◇駐車場 ・特になし、唯願寺手前のT字路の路肩を利用
◇問い合わせ亀山市観光協会   TEL:0595-97-8877

参考文献 ・現地の亀山市教育委員会の説明板

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