山野辺城跡(別名:山野辺陣屋)

中央公民館南側にある陣屋跡の玄関(西面)
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中央公民館南側にある
陣屋跡の玄関(西面)
水堀跡そばにある城址碑(西面)
水堀跡そばにある城址碑
(西面)

 山野辺城は、平安時代の前九年の役(1051〜62)で知られる奥羽地方の戦乱時に須賀川山辺氏が領有、築城したという。
 室町時代になると山野辺氏の活躍が伊達家や各地の記録にみえるし、軍記物語にも最上氏配下の武将として登場し、信頼に応えた大きな働きをしている。

 その当時の城郭は、宝暦11年(1761)の古絵図によると、現在の町役場から山辺小学校プールまでの東西四十間(73m)、南北五十六間(102m)の台地に置き、その周囲をめぐる山辺小学校、中央公民館、オリエンタルカーペット株式会社等が位置する東西百十六間(210m)、南北百八十間(327m)の丘陵地を副郭とする輪郭式の平山城であったものと思われる。
 西部の出羽丘陵から村山盆地に向けて突き出た丘陵部の舌端部を利用し、絶好の位置に立地した中世の城郭であった。

本丸・二の丸間に位置する水堀跡か(北方面)
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本丸・二の丸間に位置する
水堀跡か(北方面)
高台となっている本丸跡南側
高台となっている本丸跡南側
 
 慶長6年(1601)、一万九千三百石で山野辺城主となった最上義光の四男の山野辺義忠は、領主として約二十二年間の治世の間に数多くの業績を上げ、最上宗家の当主として期待された程の人物であった。
 特に、山野辺城地の完成と城下町の整備に意を注いだ。

 近世の城下町なので、平凡な縄張になっているが、随所に工夫が見られる。
 周囲に三の堀を用意し、北西部には出丸を設けて、防備を固めている。
 道路は直線状ではあるが、微妙に曲がって見通しを妨げ、各道路間は、三叉路の連絡で、直進できないようになっている。
 各街道の出入口には寺院を配し、戦闘場面での防御陣地を想定している。

 しかし、元和8年(1622)、跡継ぎ争いに巻き込まれ、最上家はお家騒動と見なされて改易され、山野辺城は、破壊されてしまった。

二の丸跡の山辺小学校
二の丸跡の山辺小学校
二の丸跡東側の切岸(北方面)
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二の丸跡東側の切岸(北方面)
 文政6年(1823)白河藩(福島県白河市)阿部氏は、出羽国の飛び地を支配するために、旧山野辺城二の丸内に陣屋を設けた。
 現在中央公民館の一角にある玄関の遺構はその時のもので、山辺町指定有形文化財として指定・保存されている。

[ 山野辺陣屋 見取図 (34kB) ]

 本丸跡は、消防団本部や山辺小学校の敷地となっています。
 二ノ丸跡は、山辺小学校、中央公民館の敷地になり、周囲に切岸が確認できます。
 また、山野辺陣屋跡の玄関が、唯一の現存建造物として公民館横に残っています。
二の丸北東側に残る切岸(東方面)
クリックで拡大図(105kB)にいきます。 本丸跡北東側 駐車場となっている本丸跡(南方面)
二の丸北東側に残る切岸
(東方面)
本丸跡北東側
 
駐車場となっている本丸跡
(南方面)
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 山野辺城跡 (山野辺陣屋)                            平成21年4月30日時点  
◇所在地 ・山形県村山郡山辺町大字山辺1
◇交通 ・JR左沢線羽前山辺駅から、西方面山辺小学校へ向かい、徒歩約12〜13分(約700m)
◇駐車場 ・中央公民館(山辺公民館)の駐車場を利用
◇問い合わせ山辺町役場のホームページ
・中央公民館(山辺公民館)        電話:023-664-6033

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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