脇本城跡(別名:涌本城)

―― 日本海に突き出すようにそびえる中世の山城 ――

国道101号線(船川街道)沿いの駐車場にある城跡案内と菅原神社への一の鳥居と石段 
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国道沿いにある城跡案内と
菅原神社への一の鳥居と石段
内館地区西側からの大土塁(南西方面) 
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内館地区西側からの
大土塁(南西方面)
 脇本城は、古くから男鹿半島を掌握する要害の地であり、その築城年代は明らかではありませんが、出土遺物の特徴などから、15世紀にはすでに城として機能していたと考えられます。
 元亀元年(1570)に秋田郡・檜山郡・豊島郡を統一しながら比内郡へも勢力を及ぼし、蝦夷島(北海道)管轄にも携わった安東愛季(あんどうちかすえ)が天正年間(1573〜1591)に織田信長らと政治折衝を続ける中で、再整備した城であります。

 脇本城は、戦国時代末期の巨大山城であり、東北地方最大級の規模です。
 城跡は、男鹿半島の南端の脇本地区に位置する、日本海に突き出すようにそびえる海抜100m前後の丘陵地を利用して築かれており、その規模は東西約1.8km、南北2km。全体の面積が約150ヘクタールと考えられており、能代市の檜山城、福島県会津本郷町の向羽黒山城など、東北地方を代表する山城と共通した性格を持ちます。

真下が断崖の内館西側に築かれた館跡群と高い土塁(南方面) 
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真下が断崖の内館西側に築かれた
館跡群と高い土塁(南方面)
大土塁のある内館南東部に現れた日本かもしかの親子 
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大土塁のある内館南東部に
現れた日本かもしかの親子
 男鹿半島は、中世安東氏の支配下にあったことは、市内にあります神社や寺院の由来などから知られており、脇本城も安東氏関連の城として築かれたと推察されています。
 天正5年(1577)安東愛季が脇本城に居城を移し、大規模な修復をしました。愛季は天正15年(1587)病死。天正17年(1589)に起こった湊合戦の際には、愛季の子実季が籠城を考えましたが、結局檜山城に逃れたといいます。
 脇本城主としては安東愛季の他、脇本五郎脩季(ながすえ)、安東友季、湊摂津守氏季などが記録に残っています。
 脇本城の廃城時期は不明ですが、天正18年(1590)の豊臣秀吉による奥州仕置きか、慶長7年(1602)佐竹義宣の秋田移封時と考えられています。

 脇本城跡は、平成16年9月30日、国の史跡として指定され、その面積は約128ヘクタールです。  発掘調査によって、柵・堀跡、柱穴、井戸跡など生活の痕跡や貴重な遺物が出土し、城主の力の大きさを物語っています。
登城道(大手道)中腹にある菅原神社の二の鳥居と石段 
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登城道(大手道)中腹にある
菅原神社の二の鳥居と石段
菅原神社拝殿 
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菅原神社拝殿
 

[ 城跡入口にあった 国指定史跡 脇本城跡 案内図 (102kB) へ ]

 城内を通る主要道路の「天下道」を登って、案内所でパンフレットを入手、さらに登っていくと、内館地区の真ん中を通る天下道の南の生鼻崎側には竪堀に切られた館跡群、北側には大きな空堀を挟んで曲輪とその上に大土塁があります。  この日は偶然ですが、大土塁の上から内館東端に現れた日本かもしかの親子と遭遇して、はいパチリ!ができました。
 また、真下が断崖の西側に築かれた高い土塁の上(ビューポイント)からは、日本海を見渡すことができます。
 内館の大土塁の先の東端からは城下町と八郎潟の干拓地が見渡せます。
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内館地区からの案内所と天下道(北西方面) 
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内館地区からの案内所と
天下道(北西方面)
案内所前からの内館地区への入り口の道(南東方面) 
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案内所前からの内館地区への
入り口の道(南東方面)
居館跡下の段土塁にあった内館・生鼻崎地区の遺構の図 
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居館跡下の段土塁にあった
内館・生鼻崎地区の遺構の図
大土塁から見た内館曲輪群と生鼻崎 大土塁から見た男山と生鼻崎方面(南方面) 
クリックで拡大図(57kB)にいきます。 大土塁から見た内館居館跡曲輪群(南西方面) 
クリックで拡大図(78kB)にいきます。 大土塁から見た大手道沿いの北西側曲輪群(西方面) 
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大土塁から見た内館曲輪群と生鼻崎
内館居館跡西端曲輪群と竪堀(南方面) 
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内館居館跡西端曲輪群と竪堀(南方面)
内館地区西側に築かれた土塁の上(ビューポイント)からの男鹿半島南側(船川港方面) 
クリックで拡大図(65kB)にいきます。 内館地区西側に築かれた土塁の上(ビューポイント)からの男鹿市内と毛無山・本山方面 
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内館地区西側に築かれた土塁の上(ビューポイント)からの男鹿半島南側(船川港、男鹿市内:西方面)
内館居館跡西端曲輪群と北側曲輪群と大空堀、大土塁(北方面) 内館居館跡西端曲輪群と北側曲輪群と大空堀、大土塁(北方面) 
クリックで拡大図(108kB)にいきます。 男山・生鼻崎と脇本本郷集落方面(北東方面) 
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内館居館跡西端曲輪群と北側曲輪群と大空堀、大土塁(北方面)
内館居館跡西端曲輪からの大空堀と大土塁(北方面) 内館居館跡西端曲輪からの大空堀(北方面) 
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内館居館跡西端曲輪からの大空堀と大土塁(北方面)
内館東端曲輪からの大土塁と居館跡西端曲輪群(西方面) 
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内館東端曲輪からの大土塁と居館跡西端曲輪群(西方面)
内館曲輪東端からの日本海沿いの脇本本郷集落と奥に八郎湖 
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内館曲輪東端からの日本海沿い
脇本本郷集落と奥に八郎湖
内館北部の曲輪にある井戸跡(北西方面) 
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内館北部の曲輪にある
井戸跡(北西方面)
北西側曲輪群の南側から西側に沿って進む大手道(西方面) 
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北西側曲輪群の南側から西側に
沿って進む大手道(西方面)
北西側曲輪群の西側に沿って進む大手道(北方面) 
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北西側曲輪群の西側に
沿って進む大手道(北方面)
馬乗り場にあった古館地区の遺構の図 
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馬乗り場にあった
古館地区の遺構の図
馬乗り場の曲輪 
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馬乗り場の曲輪
 
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 国指定史跡 脇本城跡                           平成24年8月6日時点
◇所在地・秋田県男鹿市脇本脇本七沢
◇交通 ・JR東日本・男鹿線「脇本駅」下車、県道54号線(男鹿街道)を南下して
   国道101号線(船川街道)を西に進み、生鼻崎トンネル手前右側の
   脇本城跡入口を登る、徒歩約30分
・秋田自動車道 昭和男鹿半島ICより国道101号線(船川街道)を西に進み、
   脇本地区の生鼻崎トンネル手前右側にある脇本城跡入口の駐車場まで、
   車で約20km
◇駐車場・脇本城跡入口の無料駐車場を利用
◇問い合わせ ・男鹿市教育委員会(文化財班) TEL:0185-46-4110
・脇本城跡案内所      TEL:053-523-2855

参考文献 ・現地で入手のパンフレットや説明板

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