亀ヶ崎城跡(別名:酒田、東禅寺城)

二ノ丸北側に残る土塁跡(北方面)
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二ノ丸北側に残る土塁跡
(北方面)
二ノ丸南側に建つ東高校校舎(東方面)
二ノ丸南側に建つ東高校校舎
(東方面)
 現在の酒田東高等学校の所在地は、江戸時代まで亀ヶ崎城であった。
 文明19年(1478)、武藤氏が築いた東禅寺城が始まりと言われ、城主には武藤一族が配され、東禅寺氏を称した。
 天正16年(1588)、越後上杉勢が庄内に攻め入り、以後上杉氏の家臣が東禅寺城主として、酒田を統治した。

 慶長6年(1601)、関ヶ原の戦いで東軍についた山形の最上氏が城を包囲、激戦の末酒田の町は戦火で焼失、城主志駄義秀は降伏し、庄内は最上氏の領地になった。
 その2年後、酒田浜に巨大な亀が上陸すると最上義光はこれを吉兆と喜び、東善寺城を亀ヶ崎城と改称させたと言われる。
 元和8年(1622)、最上氏が改易された後、譜代大名の酒井忠勝が庄内藩主となり、鶴ヶ岡城を居城としたが亀ヶ崎城も存続を許され、江戸時代を通じて城代を置き支配した。

現在グランドとなっている本丸跡(南西方向)
現在グランドとなっている
本丸跡(南西方向)

 
 
 
亀城小学校体育館横にある三ノ丸跡標柱
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亀城小学校体育館横にある
三ノ丸跡標柱

 
 
 
 明治になると、一時民政局が置かれ、酒田県庁となったが、合併で山形県が成立すると城は解体された。
 亀ヶ崎城の遺構である長く続く土塁が往時を偲ばせる。

[ 江戸時代の亀ヶ崎城の配置図 (27kB) ]

[ 現在の酒田東高等学校の配置図 (24kB) ]

 城域は、方形の郭を堀で区切って、東側に本丸、西側に二ノ丸を設け、更にそれらを二重の外堀で囲み、南側に三ノ丸、西側を流れる新井田川を隔てて四の丸を設けていたそうです。
 現在、本丸・二ノ丸跡は酒田東高校、三ノ丸跡は亀城小学校、四ノ丸は酒田商業高校の敷地になって、遺構としては、二ノ丸に土塁の一部が残るのみです。
 その他に、三ノ丸南側にあった搦め手門が、唯一の現存建造物として、円通寺(市内吉田)山門として移築されているそうですが、事前調査で場所が分からず、見損ねました、残念。

亀ヶ崎城跡
二ノ丸跡南端からの土塁跡(北東方面) 新井出川と平行に走る二ノ丸西側土塁跡(南西方面)
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二ノ丸跡南端からの土塁跡(北東方面) (15kB)
 
新井出川と平行に走る
二ノ丸西側土塁跡(南西方面)
二ノ丸北東端(プール北側)からの土塁跡(北西方面)
クリックで拡大図(47kB)にいきます。 本丸北側の土塁跡(南東方面) 本丸跡グランドの北東端に見える土塁跡
二ノ丸北東端(プール北側)からの
土塁跡(北西方面)
本丸北側の土塁跡
(南東方面)
本丸跡グランドの
北東端に見える土塁跡
亀城小学校のグランドと体育館がある三ノ丸跡
亀城小学校のグランドと体育館がある三ノ丸跡 (14kB)
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町奉行所跡
 酒田は日本海有数の湊町として栄え、酒田三十六人衆を中心とした自治都市が形成されていました。
 元和8年(1622)、酒井家が庄内に入部し、酒田町代官(のち酒田町奉行に改称)が置かれました。
 酒田町奉行所は、町奉行が執務および居住したところで、東側には庄内藩の米蔵(いろは蔵)等がありました。
 現在の跡地は、奉行所の裏側にあたり、面積は1,000平方メートル程ですが、正徳5年(1715)の亀ヶ崎御町奉行御役家新御作事絵図によれば、現在の約5倍の広さがあり、表口約94m、奥行約130mの規模で、敷地は不整台形をなしていて、堀と土塁をめぐらせ、南端は新井出川に接していました。
 酒田町奉行は亀ヶ崎城代の下で、酒田町の治安や町政を担当し、その配下には同心や町年寄役、大庄屋三十六人衆、肝煎、長人などが置かれていましたが、明治2年(1869)3月酒田民政局によって廃止されました。
 
奉行所跡入口の冠木門(北東方面)
クリックで拡大図(48kB)にいきます。 奉行所跡にある奉行所復元模型
クリックで拡大図(40kB)にいきます。 奉行所跡内部(東方面)
奉行所跡入口の冠木門 奉行所跡にある奉行所復元模型 奉行所跡内部(東方面)
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本間家旧本邸
 本間家三代光丘が、明和5年(1768)に庄内藩主酒井家のために幕府の巡見使宿舎として建造し、献上した建物である。
 旗本二千石の格式を有する長屋門構えの武家屋敷で、その奥が商家造りとなっている。
   [ ※ 開館時間:9時30分〜16時30分 ]
 
南側道路沿いの旧本邸長屋門正面(南面)
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南側道路沿いの旧本邸長屋門正面(南面) (16kB)
旧本邸東側道路沿いの棟門と塀(北方面) 東側道路沿いの旧本邸棟門(東面)
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旧本邸東側道路沿いの棟門と塀(北方面) (13kB) 東側道路沿いの旧本邸棟門
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山居(さんきょ)倉庫
 明治26年(1893)に建設された米の保管倉庫で、現在も農業倉庫として使用されている。
 ケヤキ並木とともに12棟が立ち並ぶ景観は、米どころ庄内のシンボルとして有名。
 1棟は庄内米歴史博物館、2棟が観光物産館「酒田夢の倶楽」として公開されている。
 
新出井川対岸の山居倉庫群と川岸の小鵜飼船、右端に山居橋(北東面) 対岸の小鵜飼船 へ
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新出井川対岸の山居倉庫群と川岸の小鵜飼船、右端に山居橋(北東面) (19kB)
新出井川右岸(山居倉庫側)からの山居橋(北東方面)
クリックで拡大図(48kB)にいきます。 ケヤキ並木側の山居倉庫(北方面) 山居倉庫の棟並び(新出井川側、北方面)
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新出井川右岸(山居倉庫側)からの
山居橋(北東方面)
ケヤキ並木側の山居倉庫
(北方面)
山居倉庫の棟並び
(新出井川側、北方面)
三居稲荷神社前からの左側倉庫棟(南面) 三居稲荷神社前からの倉庫棟の間(東方面) 土蔵と屋根の間に風通しのある二重屋根の倉庫棟
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三居稲荷神社前からの
左側倉庫棟(南面)
三居稲荷神社前からの
倉庫棟の間(東方面)
土蔵と屋根の間に風通しのある
二重屋根の倉庫棟
倉庫各棟をつないでいる前面の通路建屋内部(北方面)
クリックで拡大図(68kB)にいきます。 三居稲荷神社前からの倉庫棟をつなぐ渡り屋根(東方面)
クリックで拡大図(47kB)にいきます。 倉庫各棟をつないでいる前面の通路建屋内部(南方面)
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倉庫各棟をつないでいる
前面の通路建屋内部(北方面)
三居稲荷神社前からの
倉庫棟をつなぐ渡り屋根(東方面)
倉庫各棟をつないでいる
前面の通路建屋内部(南方面)
ケヤキ並木沿いにある三居稲荷神社(南面)
クリックで拡大図(61kB)にいきます。 ケヤキ並木側の倉庫棟(南方面)
ケヤキ並木沿いにある
三居稲荷神社(南面)
ケヤキ並木側の倉庫棟
(南方面)
7番倉庫棟前からの倉庫棟(南方向) 7番倉庫棟前面 7番倉庫棟の対面にある川岸沿いの小鵜飼船(東方面)
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7番倉庫棟前からの倉庫棟
(南方向)
7番倉庫棟前面
(東面)
7番倉庫棟の対面にある
川岸沿いの小鵜飼船(東方面)
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 亀ヶ崎城跡                                   平成21年4月29日時点  
◇所在地 ・山形県酒田市亀ヶ崎1町目3番地(酒田東高等学校内)
◇交通 ・JR羽越本線酒田駅より南に向かい、酒田商業高校前を過ぎて、新井田川沿いを左折し、
   〜最初の新井田 橋(メガネ橋)を渡るとすぐ、酒田東高校にいたる
◇駐車場 ・近くには駐車場なし、東高校か亀城小の駐車場を利用
◇問い合わせ酒田市観光案内  (社)酒田観光物産協会  TEL:0234-24-2233
酒田市役所ホームページ  (酒田市観光物産課)  TEL:0234-26-5759

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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