長瀞城跡(別名:雁城、長瀞陣屋)

―― 方形状の郭を四重の堀で囲まれた平城 ――

二の堀東側大手筋に建つ長瀞城跡石碑
ダブルクリックで拡大図(68kB)へ
二の堀東側大手筋に建つ
長瀞城跡石碑
本丸中心部十字路にある陣屋跡石碑と説明板
ダブルクリックで拡大図(58kB)へ
本丸中心部十字路にある
陣屋跡石碑と説明板
 長瀞城は、建長年間に西根氏が最初に築いたとされ、その後最上4代目当主満家が隠居所にしたそうです。
 戦国時代は天童氏の勢力圏内にあり、天童氏が滅びると再び最上氏が郡代を置いて支配しました。
 しかし、元和8年(1622に最上氏が改易させられると山形藩領(当時は鳥居氏)となります。
 鳥居氏が移封すると、寛永20年(1643)から天領となり幕府が直接支配し、寛文2年(16721)から幕府の代官所が置かれます。

 寛政10年(1798)からは米津氏が1万2千石で入り長瀞藩を立藩、米津氏は無城格城主だった為、城とはならず陣屋と称します。
 戊辰戦争時に長瀞藩は、白石城(宮城県白石市)で調印された奥羽越列藩同盟に参加した為、開戦当時官軍側にあった天童藩と交戦となり炎上、明治維新後は廃城となり民間に払い下げられています。
二の堀の北西部分で最も下手に位置する下堀跡(南東方面)
ダブルクリックで拡大図(76kB)へ
二の堀の北西部分で最も下手に
位置する下堀跡(南東方面)
横町から陣屋に向う三の堀と二の堀の間にある天神社(南面)
ダブルクリックで拡大図(65kB)へ
横町から陣屋に向う三の堀と
二の堀の間にある天神社(南面)

 長瀞城の最盛期は、4重の堀で囲まれた平城で、城下町を取り込んだ城塞都市で周囲を高い土塁で囲む威容を誇っていたそうでが、現在は内堀(一の堀)が排水溝程度残る他、外堀(二の堀)の大部分が残り当時の雰囲気を伝えています。
 又、禅会寺には長瀞陣屋の大手門とされる門が移築されています。

[ 長瀞ふるさと 案内図 (102kB) ]

 城地は、方形状の平城で、本丸を中心に外側に二ノ丸、三ノ丸を三重の水堀で囲み、各郭は土塁で囲まれていました。
 現在、全て宅地化され、二の堀は一部埋められていますが、それでもまだ幅広くの残っています。

本丸と一の堀跡
 本丸中心部の一画を陣屋といいます。
 中世に構築された館の本丸で、一辺が六十三間(114m)の方形である。
 寛永20年(1643)、長瀞村は幕府の直轄領となり、寛文2年(1671)ここに幕府代官所がおかれた時もある。
 寛政10年(1798)、米津通政が武洲久喜より入部し、長瀞藩一万二千石の居城となる米津氏は無城大名であるため、陣屋と称した。
 それから四代目政敏のとき戊辰の戦いに遇い、薩長軍の戦火により居館すべて焼失した。
 
西側の一の堀跡と標識石碑(下楯方面) 西側の一の堀跡(南方面) 本丸中心にある八幡宮
クリックで拡大図(95kB)にいきます。
西側の一の堀跡と標識石碑
(下楯方面)
西側の一の堀跡
(南方面)
本丸中心にある八幡宮
 
北東隅の一の堀跡の石垣(北方面)
クリックで拡大図(87kB)にいきます。 北側の一の堀跡と楯の内(東方面) 西側の一の堀跡(南方面)
北東隅の一の堀跡の石垣
(北方面)
北側の一の堀跡と楯の内
(東方面)
西側の一の堀跡
(南方面)
top へ
二の堀跡(北東側:中堀、北西側:下堀)
 二の堀は、最も下手にある堀で、堀巾も広く、約九間(17m)もあった。
 
北側三の丸中央からの二の堀跡(中堀)(東方面)
クリックで拡大図(63kB)にいきます。 中堀西端の二の堀標識石碑 北側三の丸中央からの二の堀跡(下堀)(西方面)
北側三の丸中央からの二の堀跡
(中堀)(東方面)
中堀西端の二の堀標識石碑
 
北側三の丸中央からの二の堀跡
(下堀)(西方面)
北西隅からの二の堀跡(下堀) 下堀東方面 へ
クリックで拡大図(38kB)にいきます。 下堀北西角 へ
クリックで拡大図(76kB)にいきます。 下堀南方面 へ
クリックで拡大図(43kB)にいきます。
北西隅からの二の堀跡(下堀) (23kB)
西側中央部の二の堀跡(北方面) 西南側の二の堀跡(南方面)
クリックで拡大図(37kB)にいきます。 南側二の堀跡ぎりぎりにかかる宅地
西側中央部の二の堀跡
(北方面)
西南側の二の堀跡
(南方面)
南側二の堀跡
ぎりぎりにかかる宅地
南側二の堀跡(東方面)
クリックで拡大図(83kB)にいきます。 南側二の堀跡と御蔵前跡に建つ民家(西方面)
クリックで拡大図(54kB)にいきます。
南側二の堀跡(東方面) 南側二の堀跡と御蔵前跡に建つ民家(西方面) (12kB)
二の丸跡児童センター東側の二の堀跡(北方面) 大手筋道からの二の堀跡東側(南方面) 三の丸跡からの東側二の堀跡と城跡石碑(北方面)
クリックで拡大図(79kB)にいきます。
二の丸跡児童センター東側の
二の堀跡(北方面)
大手筋道からの
二の堀跡東側(南方面)
三の丸跡からの東側二の堀跡と
城跡石碑(北方面)
top へ
三の堀跡
三の丸北側に残る三の堀跡(東方面)
クリックで拡大図(100kB)にいきます。 西側に残る三の堀跡(北方面)
三の丸北側に残る三の堀跡
(東方面)
西側に残る三の堀跡
(北方面)
top へ

 長瀞城跡                                   平成21年4月30日時点  
◇所在地 ・山形県東根市長瀞字楯の内
◇交通 ・JR奥羽本線東根駅西口より目の前の国道13号線(山形北バイパス)を北に右折し、
   〜約1km程北進し、東根温泉入口の信号を左折、約500m直進すると
   城跡石碑と案内図板あり(徒歩約20分)
◇駐車場 ・堀跡の案内板近くの空き地を利用
◇問い合わせ東根市ホームページ
・東根市役所 総務部総合政策課   TEL:0237-42-1111(代)

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット
山形県の町並みと歴史建築のホームページの
   [東根市:長瀞城(陣屋)のページ]を参考にさせていただいております。

go to home page  日本の城郭めぐり へ  © 2009 kみむ