出羽・松山城(別名:中山館、松山陣屋)

松山文化伝承館入口の棟門
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松山文化伝承館入口の棟門
松山城大手門とその前に僅かに残る水堀
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大手門とその前に僅かに残る水堀
■ 松山藩及び築城の沿革
 中世この地方一帯を遊佐郡平田郷中山地方と称する。
 江戸期初頭、荘内藩主酒井忠勝公の遺命により第三子酒井忠恒公に、荘内の所領の中、中山村外三十五ヶ村及び村山郡の中左澤地方七十四ヶ村併せて、知行二万石を与え、中山に分封せんことを幕府に出願する。
 正保4年(1647)12月11日幕府の許可を得たり。
 依って寛文元年(1661)、中山地内稲荷沢古舘の跡地を選び、此処に舘を構築し、中山陣所と公称し、政庁を開く。
 翌2年忠恒公家臣団??に鶴ヶ岡より移駐し、鶴ヶ岡亀ヶ崎に因み中山を松山に改め、以後松山藩と公称する。

 越えて第三代藩主酒井石見守忠休公は幕閣に列し、若年寄の重職を歴任する。
公園南西にある水堀そばの冠木門(北東方面)
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公園南西にある冠木門
文化伝承館側からの大手門(東面)
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文化伝承館側からの大手門(東面)
 安永8年(1779)12月15日幕府は、忠休公永年の勤功を嘉し、上州の地桐生地方五千石を加増し、城主を命じ、松山に築城を許可する。
 以後、松山藩二万五千石の表高となる。

 依って、宗藩鶴ヶ岡の軍師長坂十太夫正逸が、為に築城の縄張を行い、執政上野織右ェ門安邦を総奉行に任命し、天明元年(1781)5月工事に着手する。
 以来、巨額の工費と人力を動員し、天明7年(1788)9月に至り本丸仮御殿を落城し、第一次の築城工事を終わる。
 時巳に忠休公逝去し、第四代忠宗公之に替る。
 以来、荘内松山城としてその偉容を近隣に誇り幕末に至る。
 時に藩主第七代紀伊守忠良公にいたり、世情まさに王政復古の動乱期に当り、康徳4年(1868)の春以来宗藩と共に武門の誉れを守る。

本丸東側(文化伝承館側)の入口の冠木門(南西方面)
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本丸東側入口の冠木門
 
大手門前に残る馬出跡土塁(西北方面)
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大手門前に残る
馬出跡土塁(西北方面)
 明治元年(1868)維新後、宗藩鶴岡と共に官軍に抗した理由により時の政府に城池没収、取り毀しの厳命を受け、遂に全城郭を破却の止むなきに至り、ここにその当時の偉観を全く失うに至る。
 実に創藩以来二百年余、築城以来八十有余年に亘る松山藩の命運であった。

■ 松山城大手門
 天明元年(1781)築城に当り、本丸西方外濠に面し、城郭の正面として翌2年9月に竣工し、通常端門又は多聞楼と称せられる。

 完成以来九年目、即ち寛政9年(1790)秋10月10日の早暁屋上に落雷し、之を焼失する。
 時に酒田在住の荘内藩士並びに松山藩財政方本間四郎三郎光丘、同二郎四郎重利の両士大手門再建を藩庁に出願する。
大手門前の水堀(南方面)
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大手門前の水堀(南方面)
伝承館となりに位置する本丸御殿跡
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伝承館となりの本丸御殿跡
 藩庁為に幕府の許可を俟(ま)ち、寛政4年(1792)6月26日再建完成する。

 現存の城門即ち大手門これなり。
 翌5年山形銅町の鋳工庄司氏造るところの青銅の鯱一封を屋上に飾り、再建の主旨を銘記する。
 鯱の高さ四尺八寸(約1.45米)、造形極めて優美なり。
 (現在屋上にある鯱は、大手門再建二百年を記念して、平成4年4月山形市銅町庄司逸雄氏により製作されたものである。)

 藩政時代階上に非常の兵具を配置し、階下の門扉(現在無し)の両側に下士が、十二名門番として昼夜常駐せり中、一名は両番役、又は一名は下座見役として常に拍子木を持ち、その打数により、時刻並びに登城の士の通過を門番に通報する。
 但し、藩主不在中は大門扉を閉じ、側の潜り戸より通行することを例とせり。
現在外濠公園となっている十三間濠跡
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現在外濠公園となっている
十三間濠跡
本丸御殿東側に位置する物見櫓跡(南面)
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本丸御殿東側に位置する
物見櫓跡(南面)
 明治2年、城郭破却中、来松の按察使坊城俊章閣下による格別の取り計いにより、破却を免れ得たものを伝えらる。

 後に旧藩校の流れを汲む松嶺正心学校の校舎として子弟教育の場となり、貢献長期に亘る。
 再建以来実に二百有余年の風雨に耐え、当時の城郭をしのぶ唯一の建物として、今尚毅然として城址に建つ。
 昭和40年(1970)2月4日山形県文化財の指定を受け、現在に至る。
  ※ 以上、平成9年6月、松山町教育委員会設置の説明板から

 城としての遺構は、かっての本丸跡の松山文化伝承館敷地内に、唯一の現存遺構である大手門とその周辺に僅かに水堀・馬出跡土塁、そして本丸跡南方にある外濠公園に十三間堀跡が残るのみです。
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現存の大手門(櫓門)とその周辺
鶴岡市松山文化伝承館入口の棟門(南面) 左手上に大手門の屋根が見える文化伝承館入口の門(南面)
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鶴岡市松山文化伝承館入口の棟門(南面) (20kB)
入口棟門前からの大手門左裏面(北西方面)
クリックで拡大図(74kB)にいきます。 三の丸西側にあった大手門正面(西面)
クリックで拡大図(64kB)にいきます。 文化伝承館前からの大手門右裏面(南西方面)
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入口棟門前からの
大手門左裏面(北西方面)
三の丸西側にあった
大手門正面(西面)
文化伝承館前からの
大手門右裏面(南西方面)
文化伝承館側からの棟門裏正面(北面)
クリックで拡大図(74kB)にいきます。 櫓門内部の二階への階段 櫓門内部一階天井柱に彫られた蛇
文化伝承館側からの
棟門裏正面(北面)
櫓門内部の二階への階段
 
櫓門内部一階天井柱に
彫られた蛇
大手門前からの馬出跡土塁(西北方面)
大手門前からの馬出跡土塁(西北方面) (29kB)
馬出跡土塁前からの大手門前の公園内部(南方面)
馬出跡土塁前からの大手門前の公園内部(南方面) (23kB)
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外堀公園の十三間堀跡
南西角からの十三間堀全景(北方面)
南西角からの十三間堀全景(北方面) (26kB)
南東角からの十三間堀全景(北方面)
南東角からの十三間堀全景(北方面) (27kB)
北東角からの十三間堀全景(南方面)
北東角からの十三間堀全景(南方面) (20kB)
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 松山城(酒田市松山文化伝承館)                      平成21年4月29日時点  
◇所在地 ・山形県酒田市字新屋敷36-2
◇交通 ・JR酒田駅前、又は、JR砂越駅から山寺川行きバス(土休日は5本/日のみ)にて、
   松嶺新町下車、徒歩約5分
・JR羽越本線余目駅より車で約10分
・山形自動車道酒田IC〜国道7号線を2km程北上し、国道47号線へ右折し、
   〜直進し、途中から庄内・余目市街への県道44号線に入る、
   〜庄内町役場前を過ぎて、次の信号を左折して県道117号線に入り、
   〜すぐJR羽越本線の下を潜って、最上川の庄内橋を渡り、
   〜国道345号線に入りすぐ左折して松山市街の松山文化伝承館へ
◇駐車場 ・松山文化伝承館の駐車場を利用
◇問い合わせ酒田市松山文化伝承館  TEL:0234-62-2632
   ・開館時間:9:00〜16:30、
   ・休館日:月曜(祝祭日の場合は翌日)、年末年始、
   ・料金:一般 350円、高校・大学生 250円、小・中学生 100円
酒田市観光案内
   酒田市観光物産課    TEL:0234-26-5759

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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