羽前・丸岡城跡

―― 庄内と内陸を結ぶ旧六十里越街道に対する要地の平城 ――

東側に位置した大手門跡に建つ城跡碑
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東側に位置した
大手門跡に建つ城跡碑
旧邸内に今も姿をとどめる奥庭の泉水(百間堀)
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旧邸内に今も姿をとどめる
奥庭の泉水(百間堀)
 丸岡城は、鎌倉時代から天正年間まで当地方を治めた武藤氏の時代、大梵字(鶴岡)の南方、六十里越口と大鳥越口おさえの要地として、後に武藤家尾浦城主となった丸岡兵庫頭義興が在城した。
 武藤家のあと上杉氏、さらに最上氏が領有したが、元和元年(1615)の一国一城令により城の楼閣は取り払われた。  最上氏改易の後、元和8年(1622)酒井氏領となった。

 寛永9年(1633)、加藤清正公の嫡子・肥後五十四万石の領主加藤忠廣公が幕府に領地を没収され、一万石の捨て扶持で、庄内藩酒井氏に母、正応院とともに身柄を預けられ、二十数年間、丸岡の陣屋でわびしい生涯を送った。
 酒井氏は、この城跡に忠廣公と生母正応院様の居館、女中の長つぼね、家臣の長屋などを新築した。
 この館が丸岡大火によって消失したため、忠廣公が京都にあった館を移築し、承応2年(1653)忠廣公逝去まで居住した。  忠廣公没後、領地は幕府御領となった。
城跡北側に残る幅約10mの外堀(東方面)
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城跡北側に残る
幅約10mの外堀(東方面)
奥庭の泉水南側からの巫子石、太夫石の囲いと御城稲荷
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奥庭の泉水南側からの
巫子石、太夫石の囲いと御城稲荷

 城跡に隣接する天澤寺の本堂裏に五輪塔があり、昭和24年(1949)の発掘調査で、地中から肥前弓野窯の遺骨壷が発見された。
 また、境内には忠弘公の家臣らの墓もある。

 丸岡城跡の広さは約2haで、南側の一部は住宅地となり、ほかは主に畑地となっている。
 四方を囲む堀のうち残っていた北側部分が復元され、邸内に今も姿をとどめる奥庭の泉水(百間堀)と庭石(巫子石、太夫石)がわずかに往時を偲ばせている。

 丸岡城跡は、昭和24年の発掘調査によって推断された天澤寺の「加藤清正墓碑」とともに、昭和38年に山形県指定史跡となりました。


天澤寺本殿南側に建つ清正閣(東正面)
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天澤寺本殿南側に建つ
清正閣(東正面)
発掘、保存されている御書院跡の礎石群(南東方面)
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発掘、保存されている御書院跡の
礎石群(南東方面)

[ 丸岡城跡・加藤清正公墓碑 案内図 へ (68kB) ]

 遺構としては、大手門跡北側の外堀や百間堀跡を残すのみで、他には再現中?の本丸跡野中の堀跡ぐらいです。

 ただこの丸岡の地は、加藤清正の嫡子忠廣が突如改易となり、庄内藩に預けられ、館を与えられた場所でもあり、その関係の墓石等が本丸内天澤寺裏にあります。
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本丸跡
東側に位置した大手門跡に建つ城跡碑と説明板(西北西方面)
クリックで拡大図(62kB)にいきます。 大手門前の外堀跡(南方面) 天澤寺参道前の外堀跡(大手門跡方面)
東側に位置した大手門跡に建つ
城跡碑と説明板(西北西方面)
大手門前の外堀跡
(南方面)
天澤寺参道前の外堀跡
(大手門跡方面)
大手門跡から正面西方向に金峰山を望む本丸跡
大手門跡から正面西方向に金峰山を望む本丸跡 (23kB)
大手門跡からの本丸跡北側の御城稲荷と東側の長屋跡(北北西方面)
大手門跡からの本丸跡北側の御城稲荷と東側の長屋跡(北北西方面) (23kB)
本丸跡北側に建つ御城稲荷と手前の楯の梅(北東方面)
クリックで拡大図(59kB)にいきます。 昭和30年代に発見された楯の梅の前の古井戸 発掘、復原された御袋様御居間跡の礎石跡
本丸跡北側に建つ御城稲荷と
手前の楯の梅(北東方面)
昭和30年代に発見された
楯の梅の前の古井戸
発掘、復原された
御袋様御居間跡の礎石跡
百間堀跡前からの巫子石、太夫石(南方面) 忠廣が一時両親を密葬したといわれる庭石(巫子石、太夫石) 奥庭の泉水南側からの巫子石、太夫石の囲いと御城稲荷
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百間堀跡前からの
巫子石、太夫石(南方面)
忠廣が一時両親を密葬したと
いわれる庭石(巫子石、太夫石)
奥庭の泉水南側からの
巫子石、太夫石の囲いと御城稲荷
発掘、保存されている御書院跡の礎石群(南東方面)
クリックで拡大図(80kB)にいきます。 外堀跡西端からの本丸跡(東南東方面)
発掘、保存されている御書院跡の
礎石群(南東方面)
外堀跡西端からの本丸跡(東南東方面) (14kB)
本丸跡南側からの本丸跡全景(北方面)
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本丸跡南側からの本丸跡全景(北方面) (19kB)
奥庭の泉水南側から続く水路 奥庭の泉水南側から続く水路 奥庭の泉水南側から続く水路
奥庭の泉水南側から続く水路
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「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡
本丸西側の「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡
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本丸西側の「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡 (16kB)
北側にある「お庭の泉水跡」碑 北側からの「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡
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北側にある
「お庭の泉水跡」碑
北側からの「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡 (15kB)
 
奥庭の泉水跡の西側の外堀跡(北方面) 南側からの「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡
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奥庭の泉水跡の
西側の外堀跡(北方面)
南側からの「百間堀」と呼ばれた奥庭の泉水跡 (14kB)
 
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城跡北側の外堀(水堀)
城郭東北角の残る外堀(水堀) 城跡東北側からの外堀(水堀)と本丸の土塁
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城郭東北角の残る外堀(水堀) 城跡東北側からの外堀(水堀)と本丸の土塁 (22kB)
城跡北側に残る幅約10mの外堀(東方面)
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城跡北側に残る幅約10mの外堀(東方面) (29kB)
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天澤寺
駐車場からすぐの天澤寺参道への入口 本丸北側の天澤寺参道(西方面) 参道右にある上ノ山城主里見越後守主従の墓地
駐車場からすぐの
天澤寺参道への入口
本丸北側の
天澤寺参道(西方面)
参道右にある上ノ山城主
里見越後守主従の墓地
天澤寺本殿南側に建つ清正閣 天澤寺本堂正面(東正面)
クリックで拡大図(75kB)にいきます。 天澤寺本堂前からの参道(東方面)
天澤寺本殿南側に建つ
清正閣
天澤寺本堂正面(正東面)
 
天澤寺本堂前からの参道
(東方面)
天澤寺本殿南側に建つ清正閣(東正面)
クリックで拡大図(91kB)にいきます。 清正閣前にある糸塚と醤油樽形の知足庵(南東方面) 天澤寺内の外堀跡際にある金峰山登山口の案内標識
天澤寺本殿南側に建つ
清正閣(東正面)
清正閣前にある糸塚と
醤油樽形の知足庵(南東方面)
天澤寺内の外堀跡際にある
金峰山登山口の案内標識
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加藤家墓石碑
清正閣と天澤寺本堂の間の清正公墓への門(東正面)
クリックで拡大図(94kB)にいきます。 門の正面に架かる虎の彫り物 門をくぐって正面にある忠廣公家士の墓
清正閣と天澤寺本堂の間の
清正公墓への門(東正面)
門の正面に架かる
虎の彫り物
門をくぐって正面にある
忠廣公家士の墓
家士の墓の前からの清正公五輪塔と栄梅庵、世代の墓塔(北方面)
クリックで拡大図(79kB)にいきます。 清正公五輪塔の格納されている覆堂 覆堂の中の清正公五輪塔
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家士の墓の前からの清正公五輪塔と
栄梅庵、世代の墓塔(北方面)
清正公五輪塔の
格納されている覆堂
覆堂の中の清正公五輪塔
 
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 羽前・丸岡城跡                                   平成21年4月29日時点  
◇所在地 ・山形県鶴岡市(旧櫛引町)丸岡 町の内
◇交通 ・JR羽越本線 鶴岡駅前から県道345号線を南下、国道112号線(櫛引バイパス)に入り〜
  〜丸岡・町の内の丸岡城跡案内看板で左折し〜400mほど進み、右折し、
  専用駐車場に車を止め、徒歩で天澤寺を目指す
・山形自動車道庄内あさひIC〜県道44号線〜国道112号線(六十里越街道)〜
  〜櫛引バイパスを北上〜丸岡・町の内の丸岡城跡案内看板で左折し〜
  〜400mほど進み、左折し、専用駐車場に車を止め、徒歩で天澤寺を目指す
◇駐車場 ・天澤寺への北側の入口にある町の内の専用駐車場を利用
   ※ 訪城時、NHK大河ドラマ・天地人の関連で、丸岡城跡の旗があり
◇問い合わせ ・鶴岡市櫛引庁舎 産業課     TEL:0235-57-2115
山形県鶴岡市観光連盟     TEL:0235-25-2111(代)

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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