上山城(別名・月岡城) 【 平成20年(2008)版 】

―― 最上氏・伊達氏の決戦の地に立つ羽州の名城 ――
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駅からの城へ向う途中の眉川橋からの上山城(南面)
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駅からの城へ向う途中の
眉川橋からの上山城(南面)
旧本丸跡の建つ月岡神社
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旧本丸跡の建つ月岡神社
 
 上山城は、室町時代の応永年間初期(1400年前後)に、羽州探題で最上氏の祖、斯波兼頼の曾孫里見満長が初めて着封、上山殿と称し、虚空蔵山に山城を築いたのが初めとされ、当時は高楯城または亀ヶ岡城とも言われていた。

 永正11年(1514)には、伊達稙宗に攻略され、翌年和睦し返還、五年後に再び攻略されたが、天文4年(1535)満長の子孫武衛義忠が挙兵して奪還した。
 同年高楯城を廃して、新たにこの地天神森に平山城を築き、月岡城とも称した。

 その後、城主は武衛氏三代、里見氏、元和8年(1622)最上家改易後、能見松平氏、蒲生氏等を経て、土岐氏二代が領した17世紀の後期には、城郭として最も整備され、白壁の城壁をめぐらし、後景には四季折々の緑や紅葉に映えた上山城は、小藩(二万五千石)ながら奥羽の名城と称されていた伝えられている。
 しかし、元禄5年(1692)土岐氏が転封直後、幕府の命により跡形もなく破壊された。

武家屋敷のある仲丁通りにある上山藩校明新館跡
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武家屋敷のある仲丁通りにある
上山藩校明新館跡
沢庵禅師が三年間住んだといわれている「春雨庵」
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沢庵禅師が三年間住んだ
といわれている「春雨庵」
 以来、上山藩は金森氏、藤井松平氏(三万石)10代の治領下で170年余年間、代々城の再建が宿願であったが、明治維新まで一部を修復するに止まり、再築されることはなかった。

 周囲の堀も、明治5年(1672)に埋め立てられ、城の西側に僅かに内堀の名残りを留めている。

 現在の上山城は、昭和57年(1982)に旧二の丸跡に城郭風の郷土資料館として建設したものである。
 また、ちょっと離れていますが、寛永4年(1627)幕府の命により上山に配流された沢庵禅師が三年間住んだといわれている「春雨庵」があります。

 わが故郷の丸岡城のたたずまいにも似たお城でした。ただその違いは新幹線が停車し、温泉のある町であり、その賑やかさは羨ましいものです。

かみのやま温泉発祥の地の鶴の休み石と足湯
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かみのやま温泉発祥の地の
鶴の休み石と足湯
天守最上階から見る真下の足湯
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天守最上階から見る真下の足湯
 
 4軒の武家屋敷も茅葺きのままに残されており、現在住んでいる人の屋敷維持の大変さがうかがえます。

 朝一番(6:30)には100円で入れる6軒ある公衆浴場の一つに湯町の鶴の湯に入り、気持ち良くサッパリとして、旅館の朝食を食べに戻りました。
 その共同浴場にはおもしろいシステムがあるそうです。それは洗髪をする時は、さらに100円を払って、洗髪札を蛇口にかけたり、蛇口の取ってを貸し出してもらうそうです。

 その他、市内には足湯が城の真下を初め5ヶ所あります。
 特に、温泉発祥の地の鶴の休み石には、お湯の手洗い鉢もあり、足湯の湯も熱く、飲み水としてもペットボトルに組んでいるご近所の人もいました。
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旧本丸跡
 月岡神社が上山城の旧本丸跡に建てられ、江戸時代中期から幕末まで上山藩を治めた藤井松平家の初代利長と2代信一が祀られています。
 境内には沢庵禅師の作と伝えられている庭があります。
 
旧本丸跡に建つ月岡神社の鳥居 旧本丸跡に建つ半鐘櫓 旧本丸跡からの二の丸の模擬天守
旧本丸跡に建つ
月岡神社の鳥居
旧本丸跡に建つ半鐘櫓
 
旧本丸跡からの
二の丸の模擬天守
神社鳥居を上がった正面の旧本丸跡の広場(北方面)
神社鳥居を上がった正面の旧本丸跡の広場(北方面) (33kB)
月岡神社横の忠魂碑(北東部) 北東部にある半鐘櫓(模擬天守方面) 旧本丸跡の土塁(鳥居・北西面)
月岡神社横の忠魂碑
(北東部)
北東部にある半鐘櫓
(模擬天守方面)
旧本丸跡の土塁
(鳥居・北西面)
旧本丸跡内部(沢庵桜の植わっている南方面) 旧本丸跡内部(鳥居・南西方面)
旧本丸跡内部(沢庵桜の植わっている南方面) (20kB)
 
旧本丸跡内部
(鳥居・南西方面)
二の丸(模擬天守側)からの本丸の土塁(南東面)
二の丸(模擬天守側)からの本丸の土塁(南東面) (31kB)
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旧二の丸跡
旧二の丸跡に建つ城郭風の郷土資料館
クリックで拡大図(104kB)にいきます。 市内きややか銀行前からの郷土資料館(南東面)
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旧二の丸跡に建つ城郭風の郷土資料館 (12kB)
 
市内きややか銀行前からの
城郭風の郷土資料館(南東面)
三嶌坂下からの城郭風の郷土資料館 城郭風の郷土資料館の南西面
クリックで拡大図(43kB)にいきます。 城郭風の郷土資料館の北面
三嶌坂下からの
城郭風の郷土資料館
城郭風の郷土資料館
(南西面)
城郭風の郷土資料館
(北面)
郷土資料館からの二の丸跡の足湯と遠景
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郷土資料館からの二の丸跡の足湯と遠景 (16kB)
二の丸郷土資料館前の三嶌坂 郷土資料館最上階からの二の丸跡と上山市街(北東方面)
クリックで拡大図(78kB)にいきます。 上山市街で唯一の超高層ビルのスカイタワー41
二の丸郷土資料館前の
三嶌坂
郷土資料館最上階からの
二の丸跡と上山市街(北東方面)
上山市街で唯一の
超高層ビルのスカイタワー41
旧本丸跡(月岡神社)下の堀跡(西面) 旧本丸南側の月待坂 旧二の丸跡の建つホテルへの道
旧本丸跡(月岡神社)下の
堀跡(西面)
旧本丸南側の月待坂
 
旧二の丸跡の建つ
ホテルへの道
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武家屋敷
 上山城(月岡城)が天文4年(1535)に築かれると、その西・北部一帯は武家屋敷となり、この仲丁通りには、藩の要職にあった家臣が居住していた。
 現存している家屋は、茅葺屋根、鉤形の曲屋で、玄関と通用口とを別にする武家中門造りの建築様式であり、17世紀中頃の建造と推定され、屋敷の周りには土塀または土塁が築かれていた。
 後に、藤井松平氏時代に西山の谷川から引水して造られた庭園の池は風致を添えると共に、防火用水ともなっている。
上山藩武家屋敷案内図
上山藩武家屋敷案内図 (14kB)
武家屋敷:旧曽我部家の説明
クリックで拡大図(74kB)にいきます。 武家屋敷:築池がある庭園からの旧曽我部家(勝手口側)
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旧曽我部家の説明旧曽我部家:築池がある庭園からの勝手口側
武家屋敷:山田家の説明
クリックで拡大図(89kB)にいきます。 武家屋敷:今でも人が住んでいる茅葺の山田家(庭側)
クリックで拡大図(75kB)にいきます。 武家屋敷:今でも人が住んでいる茅葺の山田家(玄関側)
山田家の説明山田家:今でも人が住んでいる茅葺の家屋(庭側、玄関側)
武家屋敷:三輪家の説明
クリックで拡大図(72kB)にいきます。 武家屋敷:庭の縁が苔むして、立ち入り不可の三輪家(玄関側)
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三輪家の説明 三輪家:庭の縁が苔むして、立ち入り不可の家屋
武家屋敷:森本家の説明
クリックで拡大図(77kB)にいきます。 武家屋敷:格子戸で囲まれ、茅葺の森本家家屋(玄関側)
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森本家の説明森本家:格子戸で囲まれた建物(玄関側) (16kB)
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沢庵禅師が三年間住んだといわれている「春雨庵」
 江戸幕府の厳しい宗教統制のなかで、元和法度(幕府の禁止令)や紫衣事件に抗議した京都大徳寺153世の沢庵禅師は、寛永6年(1629)8月この上山に流されてきました。
 当時の藩主土岐頼行は、この地に小庵を建て居住させたが、沢庵は殊の外この小庵がお気に入り、自ら「春雨庵」と命名し、花鳥風月を愛でながら配流の身を慰めたと言われています。
 寛永9年7月、三代将軍家光により赦免され江戸に帰った沢庵は、上山の春雨庵での三年間の流刑生活を過ごした頃が忘れられず、時折語り草にしていたため、土岐頼行は、正保元年(1644)に沢庵が住職をしていた江戸品川の東海寺境内に塔頭を建立し、その名も春雨庵と名付け、土岐家の菩提寺としました。
 その後、品川春雨庵が一部改造の際、一間の長押と天井板などを譲り受け、昭和30年(1955)7月この地に復元したのが現在の春雨庵です。
 正面には、沢庵の尊像(原図は吉川栄治、作は初代野川陽山)と、茶人でもあった沢庵を偲び、南側に茶亭(望岳軒・聴雨亭)および茶庭が配されています。
 
土岐灯篭前からの春雨庵(正面)
クリックで拡大図(80kB)にいきます。 庵門と春雨庵跡石碑
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土岐灯篭前からの春雨庵(正面)庵門と春雨庵跡石碑 (16kB)
春雨庵:庵内正面に鎮座する沢庵禅師像
クリックで拡大図(45kB)にいきます。 庵門と茶亭の間にある石仏と土岐灯篭のある庭
庵内正面に鎮座する沢庵禅師像庵門と茶亭の間にある石仏と土岐灯篭のある庭 (15kB)
庭横の軒の高さが低い茶亭入口 茶庭内部 茶庭内部
庭横の軒の高さが低い茶亭入口茶庭内部
茶亭内部の庭への出入口 茶亭内部の庭
茶亭内部の庭への出入口茶亭内部の庭 (17kB)
土塀に囲まれている池 茶亭の裏側の出入口
土塀に囲まれている池茶亭の裏側の出入口 (14kB)
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上山市街地と共同浴場
市街中心に建つ歓迎やぐら 8年前に入った下大湯共同浴場 今回一番湯に入った湯町共同浴場
市街中心に建つ歓迎やぐら 8年前に入った下大湯共同浴場 今回一番湯に入った湯町共同浴場
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 上山市立上山城                                平成20年12月14日時点  
◇交通 ・JR奥羽本線かみのやま駅から、徒歩約10分
◇開館時間 ・午前9時〜午後4時45分
◇休館日・12月29日〜31日
・7月第3週の月曜日〜金曜日までの5日間
◇入館料・大人:400円、学生(高校生以上):350円、小人(小・中学生):50円
    ※ かみのやま駅の観光案内所で、大人・高大生 各50円引きの
      入館料金割引特典のついた”あきんどMAP”を手に入れるとよいです。
◇お問合せ (財)上山城管理公社
 〒999-3154 山形県上山市元城内3-7      TEL:023-673-3660
上山市商工観光課
 〒999-3192 山形県上山市河崎一町目1-10  TEL:023-672-1111(代)
上山市観光協会
 〒999-3135 山形県上山市南町8-21      TEL:023-672-0839
・上山市観光案内所
 (JRかみのやま温泉駅内)             TEL:023-672-5703
山形県上山市ホームページへ (※ 蔵王と城と茂吉のふるさと)

参考文献・現地解説板、現地入手のパンフレット

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