藤島城址

―― 国府の府城といわれ、出羽の守や鎮守府将軍の居城 ――
八幡神社の建つ藤島城址本丸跡(東面)
ダブルクリックで拡大図(83kB)へ
八幡神社の建つ
藤島城址本丸跡(東面)
東南側の土塁からの本丸跡の神社本殿(北西方面)
ダブルクリックで拡大図(92kB)へ
東南側の土塁からの本丸跡の
神社本殿(北西方面)

 成立年代は不明であるが、和銅年間、平形に国府が置かれた頃の国府の府城といわれ、出羽の守や鎮守府将軍の居城であった。
 葉室光顕、同光久、久我具通、堀川具信、木戸玄齋、土佐林道俊、新関因幡守等が有名な城主である。
 平城であるが藤島川を外堀とし、向楯、古郡楯、柳久瀬楯、平形楯、勝楽寺楯等の前衛基地を設け、完璧なまでに堅牢な城であった。

 観応2年(正平6・1351)、北畠顕信が守永親王を奉じて旗上げした歴史上有名な城である
 愈来二十有余年間、東北の南朝の拠点として守られて来た。

 天正18年(1590)太閤検地の折、一揆を起こし籠城、上杉景勝の宿老直江兼続も落とし得なかった。
北東隅土塁上からの南方面への土塁
ダブルクリックで拡大図(105kB)へ
北東隅土塁上からの
南方面への土塁
南東端からの本丸跡手前左側の水堀(大手入口方面)
ダブルクリックで拡大図(90kB)へ
南東端からの本丸跡手前左側の
水堀(大手入口方面)
 元和元年(1615)最上氏改易により廃城となる。

[ 本丸跡の八幡神社前にある 藤島城址 城図 (60kB) へ ]


 成立が、和銅年間(708〜14)平形に出羽の国府が置かれた頃の府城が始まりとのことで、かなりの歴史があるようです。

 遺構としては、主郭に高さのある土塁と水堀跡が残っています。

本丸跡に向って右側の土塁と水堀(北西方面) 本丸跡右側の土塁と水堀(北西方面)
本丸跡に向って右側の土塁と水堀(北西方面) (20kB)
 
本丸跡右側の
土塁と水堀(北西方面)
中町公民館側からの本丸跡手前左側の水堀(西方面) 土塁からの本丸跡入口に立つ神社鳥居と水堀(北東方面)
クリックで拡大図(116kB)にいきます。 本丸跡手前右側の水堀(西方面)
中町公民館側からの
本丸跡手前左側の水堀(西方面)
土塁からの本丸跡入口に立つ
神社鳥居と水堀(北東方面)
本丸跡手前右側の水堀
(西方面)
神社本殿前からの本丸跡入口と東側の土塁(東方面) 本丸跡東側土塁(北側)
クリックで拡大図(83kB)にいきます。 本丸跡大手口の鳥居(東側)
クリックで拡大図(90kB)にいきます。 本丸跡東側土塁(南側)
クリックで拡大図(76kB)にいきます。
神社本殿前からの本丸跡入口と東側の土塁(東方面) (27kB)
北東隅土塁上からの南・西方面の土塁と本丸跡内部(南西方面)
北東隅土塁上からの南・西方面の土塁と本丸跡内部(南西方面) (36kB)
本丸跡西側の土塁と空堀(北側) 本丸跡西側の土塁(神社本殿・東側)
本丸跡西側の土塁と空堀(北側) (22kB) 本丸跡西側の土塁(神社本殿側)
南東隅土塁上からの西方面への土塁
クリックで拡大図(95kB)にいきます。 大手口左側の土塁からの北方面への土塁 北東隅土塁上からの西方面への土塁
南東隅土塁上からの
西方面への土塁
大手口左側の土塁からの
北方面への土塁
北東隅土塁上からの
西方面への土塁
top へ

 藤島城址(八幡神社)                                   平成21年4月29日時点  
◇所在地 ・山形県鶴岡市藤島字古楯跡(八幡神社)
◇交通 ・JR羽越本線藤島駅から、徒歩約7分(約2km)
・山形自動車道鶴岡IC〜国道7号線を約700m北上〜2つめの信号を県道47号線へ右折、
   〜すぐに鶴岡駅方面へ県道332号線を左折〜鶴岡駅前を過ぎ、国道345号線を直進し〜
   〜藤島駅入口の県道339号線を左折、L字クランクを抜け、道路幅が狭くなる
   中町公民館手前を入ると神社あり
◇駐車場 ・八幡神社前路肩に駐車スペースあり
◇問い合わせ ・鶴岡市藤島庁舎 産業課   TEL:0235-64-5804
山形県鶴岡市観光連盟   TEL:0235-25-2111(代)

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

go to home page  日本のお城めぐり へ  © 2009 kみむ