安倍館遺跡 (別名:厨川柵跡・厨川城跡)

本丸西側道路沿いに立つ遺跡説明板(西面) 
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本丸東側道路沿いに立つ
遺跡説明板(西面)
遺跡標柱と本丸・中館の間の空堀(北上川・東方面) 
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遺跡標柱と本丸・中館の間の
空堀(北上川・東方面)
 康平5年(1062)、北上盆地の覇者安倍氏が滅亡した厨川柵跡と伝えられる。
 安倍貞任をはじめ一族の勇戦の歴史は今も多くの言伝えとあいて残っている。

 一方発掘調査では、この遺跡が中世工藤氏の居城厨川城跡と確認されている。
 厨川城は、文治5年(1189)源頼朝の御家人工藤行光が地頭に任じられて以来、天正20年(1592)の廃城に至るまでの400年間、岩手郡を治める拠点であった。

 城地は、東に北上川を望む台地縁に、南館・中館・本丸・北館・外館・勾当館と呼ばれる短冊状の曲輪と帯曲輪の7区画を配置、各曲輪の間には深い空堀が設けられていましたが、現在でも本丸と中館周辺にはその空堀がよく残っています。
 また、近くには「前九年」や「厨川」などの歴史を物語る地名も残っています。
安倍館遺跡の縄張図
安倍館遺跡の縄張図
北館からの本丸との間の空堀(西方面)
北館からの本丸との間の空堀(西方面)
道路側からの本丸南西角の空堀(北東方面)
道路側からの本丸南西角の空堀(北東方面)
本丸の北上川側に建つ厨川八幡宮の御社(東方面)
本丸の北上川側に建つ厨川八幡宮の御社(東方面)
本丸南側中館との間の空堀(東方面)
本丸南側中館との間の空堀(東方面)
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  安倍館遺跡                                平成24年8月7日時点
◇所在地・岩手県盛岡市安倍館町6
◇交通 ・JR東北本線 「盛岡駅」から、駅東側の北上川沿いを約1km北上、徒歩約20分
・JR盛岡駅前から「県立大学」行きバスにて約10分、「安倍館」下車すぐ
◇問い合わせ(財)盛岡観光コンベンション協会    TEL:019-604-3305

参考文献・現地の説明板

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