天守閣櫓、門郭、石垣、土塁、堀のあるお城の紹介
(kみむの行ったお城のみ)
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300〜201番まで
      現 存 天 守 閣
現存する天守閣は、北から順に以下の12天守のみです。
 弘前城(青森県)、丸岡城(福井県)、松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)。
 このうち、姫路城、彦根城、松本城、犬山城の4城が国宝に指定。 
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〜100番まで

項番
(訪問順)
城名
(別称)
所在地
天守の種別、
その他の遺構
創築年(西暦)
由来、エピソードなど 訪れた日
(最新順)
丸岡城
 (霞ヶ城)
  越前(福井)
 (戦前は国宝)
現存、不明門の一部・石垣
 (1576)
丸岡城へ 天正4年(1576年)に、柴田勝豊が築城した平山城で、外観は二層、内部は三階の望楼型天守閣は、日本最古を誇っています。
日本一古い現存の天守閣としての風格は最高です。 階段は手すりなしで急峻です。
天守閣は、昭和23年(1948)の福井大震災で一度崩壊しましたが、昭和30年(1955)に修復再建しました。
2012.4.2
2007.8.13
2005.4.10
2000.8.11
1999.8.13
1986.8.15
1973.4.3
生れ故郷
73 高遠城
 (兜山城)
  信濃(長野)
大手門、土塁・堀・石垣の一部
 (1547)
高遠城へ 4年ぶりに訪れた城址公園内のコヒガン桜は散り始めていて、桜雲橋下のお堀は花弁で真っ白で、その中蛙の声が響いていました。
再訪時(2002/4/14)は、例年より1W以上早くタカトウコヒカンザクラが散りかけでしたが何とか見れました。入園料は500円にアップしていました。
1回目の時(4/29)は、桜も散り、あいにくの春雨にも遭いましたが、さくら祭り期間中のシャトルバス(100円)で楽々と高遠城跡公園へ行けました。しかしながら、タカトウコヒカンザクラが満開の時期(4/15前後)を過ぎての高遠城でしたので、観光客もまばらで、入園ゲートはあれど、入園料:400円はタダでした。
2018.4.12
2014.4.14
2003.4.19
2002.4.14
2001.4.29
402 気賀関所跡
  遠江(静岡)
復元関所門、建物
 (1601)
気賀関所へ 今年大河ドラマ「おんな城主 直虎」で話題になっているので、井伊谷に行ってきました。
東側(江戸側)の冠木門を入ると右側正面に本番所、左側に牢屋のある向番所、その南側に遠見番所が復元されており、それらを見学した後、西側の旧気賀宿と接していた町木戸門を抜けると右には駐車場の完備した田園空間博物館があり、お土産や休憩が取れます。
2017.6.13
2012.7.13
19 江戸城
 (千代田城)
  武蔵(東京)
櫓5、門5
 (1456)
江戸城へ 皇居東御苑へ入り、つまり江戸城の本丸、二の丸、三の丸跡ですが、壮大な本丸や天守台に登ったり、富士見櫓の背中、蓮池多聞櫓などが見れます。入場無料ですが、月、金曜日は休みですから注意。
また、事前許可なしには、1年に2日(1/2と12/23)ですが、無料で二重橋を渡って皇居(西の丸)の中に入れます。
年始の正月参賀で、たった3分の天皇陛下のお出ましとお言葉を賜った後、ゆっくりと皇居内の櫓や門を見て回ってはいかがですか。 但し、坂下門、桔梗門、乾門をくぐれるのは1度に1門だけですから、出たら終わりです、ご注意ください。
2017.1.2
2014.1.2
2008.3.1
2004.2.21
2003.5.4
2013.1.2〜
 1994.1.2
(除2003,
2002,1997)
18 松本城
 (深志城)
  信濃(長野)
現存、黒門(復興)・石垣・門
 (1451〜54)
松本城へ 7/20に初公開の松本城乾小天守に登城してきました。急な階段ゆえに未公開だったそうですが、確かに結構急でした。でも最古の丸岡城の階段の方が間が広く、もっと急ですよ。ぜひ行ってみてください。
でも、さすがに現存する国宝の天守閣です。大天守に登った後の5階⇒4階への下りの階段差35.6cm?にはご注意!
平日なら太鼓門の前にある市役所の最上階展望室から見る松本城とアルプスの眺めは最高ですよ。だめでも、日本民族資料館から見る松本城もベター。
2014.10.9
2008.8.13
2001.7.20
1999.8.13
1986.9.7
210 仙台城祉
 (青葉城)
  陸前(宮城)
本丸跡、石塁・天守台・復興隅櫓
 (1600)
仙台城祉へ 青葉城へは、市バス、タクシー、観光バスにせよ、「仙台城址」まで行かないで下さい。ちょく本丸跡に登ってしまいます。
少し登りがきついですが、やはり博物館前あたりで下り、三の丸(現在市立博物館が建っています)の土塁、水堀(長沼と呼ばれています)を見て、
坂を登り大手隅櫓と高石垣を見ながら大手門跡をくぐって左に折れ、中の門跡を通り、本丸に登るか、(ただし、三ノ丸あたりから大手門をくぐり、本丸まで青葉山を抜ける生活道路が通っているので、交通量は非常に多く要注意です)
博物館奥に進み、魯迅の碑や銅像を右手に見ながら進んで、三ノ丸巽門跡(礎石がしっかり残っています)を通って清水門跡、そして沢の門跡経由で本丸に登るのがよいでしょう。
2014.7.3
2006.3.9
1992.5.4
33 高島城
 (浮城、島崎城)
  信濃(長野)
復興、本丸石垣・隅櫓・堀
 (1591)
上諏訪・高島城へ 堀に浮かぶ天守閣は絵のとおりです。冬の雪をかぶった風情はもっと良いかもしれませんね。
現在は諏訪湖からははるか遠くなりましたが、三の丸御殿裏門(御川渡門跡)がその名残りでしょうか。 でも、たった、2年の間に高島城の周りがすっかり市街化してしまいましたね。残念です。
2014.4.14
2003.4.19
2001.7.20
1999.8.13
416 田中城址
 (徳一式、藤枝城)
  駿河(静岡)
門(移築)、曲輪・土塁・堀
 (1537)
全国的にも珍しい円郭式の縄張りや武田式半円形の丸馬出や水堀・土塁跡(土塁の上に民家が建っているのも見れます)などが色濃く残り、下屋敷跡には、移築された本丸櫓や中間部屋や厩などを見学することができます。 2014.4.10
415 皆川城址
 (法螺貝城)
  下野(栃木)
土塁、堀・曲輪・井戸
 (寛喜年間:1229〜32)
バスで皆川郵便局前に近づくとまさに法螺貝のようにらせん状の曲輪が帯をまく整備された城跡が見えてきます。
本丸跡からの眺望もよいのですが、二の曲輪・西の丸下の大竪堀の豪華さはすごいの一言です。
2014.4.8
414 栃木城址
  下野(栃木)
曲輪、水堀
 (1294)
城址は本丸・二の丸などが残る小さな公園となっており、訪城当日はお年寄りがゲートボールを行っているくらいのどかな場所にあり、近くには水堀跡、隣接する民家の土塀や門(訪城時は一部改築で破壊されていました)が当時を彷彿とさせていました。 2014.4.8
100 福井城
 (北ノ庄、福居城)
  越前(福井)
天守台、石垣・堀
 (1601)
福井城へ 平成20年に築城400周年を記念して本丸と西三の丸とを結ぶ御廊下橋が復元されていました。
記念すべき訪城100城記念の場所が以外と故郷近くの福井城になるとは不思議なものですね。
2014.3.2
2001.8.14
413 韮山城跡
 (龍城)
  伊豆(静岡)
曲輪、土塁・水堀・空堀
 (1493)
韮山城は北条早雲が築いた山城ですが、現在三の丸や御座敷跡は韮山高校の敷地になってしまっていますが、本丸、二の丸等の曲輪や障子堀が残っており、不要な樹木は切られて、遊歩道もよく整備されています。また本丸からの富士山の眺めは最高でした。 2012.12.14
412 伝堀越御所跡
 (堀越公方)
  伊豆(静岡)
池跡、遣水(導水路)、建物跡
 (1457)
鎌倉時代に北条時宗の館があった所を中心に、室町時代になって堀越御所として再利用されたところだそうで、現在電源開発韮山保養所の跡地などが何度かの発掘調査で、広大な御所の園地(庭園内の池)も発見され、七つ石の一つの「亀石」もみることができました。 2012.12.14
411 杣山城跡
  越前(福井)
曲輪、東西御殿跡・堀切・土塁・堀
 (1321)
杣山城跡へ 杣山は桂岩が露出した急峻な天然の要害で、3本の登山道はいずれも途中から急勾配になり、特に居館跡から姫穴を通り殿池を通るコースは道の狭い岩場もあり怖い思いをする所もあります。しかも山頂付近だけでなく、山麓の広大な居館跡や二ノ城戸跡に今も残る水堀と土塁跡など見所の多い山城です。 2012.8.15
410 安倍館遺跡
 (厨川城跡)
  陸中(岩手)
曲輪、空堀
 (1189)
安倍館遺跡へ 城地は、東に北上川を望む台地縁に、南館・中館・本丸・北館・外館・勾当館と呼ばれる短冊状の曲輪を配置、各曲輪の間には深い空堀が設けられていましたが、現在でも本丸と中館周辺にはその空堀がよく残っています。 2012.8.7
409 盛岡城跡
 (不来方城)
  陸中(岩手)
石垣、内堀・土蔵・城門
 (1598)
盛岡城は、本丸が表側の二の丸と空堀で隔てられ、東、西、南の三方を、特に南側の花崗岩を多用した高石垣が美しい腰曲輪が巡る総石垣の城です。最高所の本丸南角三重櫓台跡からの眺めも良いです。さらに北側飲食店が立ち並ぶ外曲輪跡周辺に残る内堀跡の亀ヶ池も必見です。 2012.8.7
408 亀田陣屋跡
 (天鷺、赤尾津城)
  羽後(秋田)
模擬天守・城門、曲輪・土塁
 (1623)
亀田陣屋跡へ 現在、亀田陣屋跡には「亀田城佐藤八十八美術館」や亀田小学校の敷地になっており、石垣や模擬櫓門が設けられている。大手門跡から南への大手道そばには天鷺村遊園や天鷺城なる模擬天守があります。 2012.8.6
407 本荘城跡
 (尾崎、舞鶴城)
  羽後(秋田)
曲輪、土塁・堀・復元門
 (1610)
本荘城跡へ 子吉川の湾曲部に突き出すような丘陵先端部にある尾崎山に築かれ、山頂部に広い本丸を置き、輪郭式に二の丸が配置されています。現在城域は、本荘公園と市役所になっていますが、市役所脇に復元された城門と三の丸土塁、水濠の一部は城跡の雰囲気が感じられます。 2012.8.6
406 脇本城跡
 (涌本城)
  羽後(秋田)
土塁、曲輪・空堀・井戸・虎口
 (15世紀ごろ)
脇本城跡へ 天下道を登って、案内所でパンフレットを入手、さらに登っていくと、内館地区の真ん中を通る天下道の南の生鼻崎側には竪堀に切られた館跡群、北側には大きな空堀を挟んで曲輪があります。真下が断崖の西側に築かれた高い土塁の上からは、日本海を見渡すことができます。内館の大土塁の先の東端からは城下町と八郎潟の干拓地が見渡せます。 2012.8.6
405 湊城跡
  羽後(秋田)
城址碑
 (14世紀末)
湊城跡へ 湊城は、関ヶ原合戦の後、秋田に転封してきた佐竹氏が当初入城しましたが、あまりに小さすぎ、千秋の岡に新城(久保田城)を築いて移っていった時点で廃城になったので、遺構らしいものは何もなく、現在城跡には、土崎神明神社と大国主神社をはじめとする5つの御社が建つのみで、道路沿いに城跡の説明板があるのみです。 2012.8.6
404 秋田城跡
 (出羽柵)
  羽後(秋田)
東門・政庁跡、外郭
 (天平5年(733)頃)
秋田城跡へ 奈良時代に大和朝廷が東北開発の拠点として小高い岡の上に築いた城柵で、出羽柵(いではのき)と呼ばれていたそうです。外郭東門と築地塀の一部が復元され、その東門の南東下には発掘された掘立式の建物跡や井戸跡、水洗厠舎跡、古代沼等が広がっています。 2012.8.6
51 久保田城
 (矢留城)
  羽後(秋田)
御番所、隅櫓・表門・土塁・堀
 (1604)
久保田城へ 本丸を取り囲む多聞長屋跡の土塁は立派です。特に北西の一番高い所に建つ御隅櫓から見る秋田市内は展望がよいのでは(閉館の16:30に間に合わず登城できませんでしたが)。
秋田市内にもかかわらず、一匹の日本かもしかが放し飼い?になっていました。遭遇できた私は幸運なのでしょうか・・・。
2012.8.6
2000.5.1
403 角館古城跡
 (古城山城跡)
  羽後(秋田)
曲輪、堀
 (応永年間:1394〜1428)
角館城跡へ 城跡のある古城山への登り口は、檜木内川側南西部にありそうに思いましたが、実際には武家屋敷の北側を走る国道46号線を200m程東に向かい、左側の七色稲荷神社を目指すと判りやすいです。神社下の道を通り駐車場まで上がると西側斜面を登る舗装道と南側斜面の切岸を登るかなりきつい坂の連続の遊歩道があり、どちらも10分ぐらいでかなりの広さの主郭にたどり着けます。 2012.8.5
401 堀川城址
  遠江(静岡)
城址碑(古戦場)
 (1560)
堀川城址へ 舘山寺温泉から「はままつフルーツパーク」に向かう途中の道路脇に唐突に城跡の説明板が見え、車を城跡の柵のある路肩に寄せて、登城しましたが、城址碑(古戦場)跡と首塚、供養碑があるのみでした。 2012.7.13
400 七沢城跡
 (城、七沢要害)
  相模(神奈川)
城跡碑
 (室町時代)
七沢城跡へ 現在は、病院玄関への北側の道路に城跡碑があるだけで、ほかに何の遺構も残っていませんが、代わりに七沢城の物見・詰城とも考えられる見城(標高361m)に登り、七沢城跡や厚木市街、そしてはるか先の新宿や品川の高層ビル群を望むのはいかがですか。 2012.1.28
399 福島関所跡
  信濃(長野)
復元関所門、建物
 (江戸時代初期)
福島関所跡へ 江戸へ向う街道の天下の四大関所の一つですが、河岸段丘上段にある関所西門へ木曽川沿いの旧中仙道からの登り道が延びていて、その高さはかなりのものです。 2011.11.10
398 馬籠城跡
 (丸山城)
  信濃(岐阜)
曲輪、虎口石垣
 (室町時代)
馬籠城跡へ 落合宿の石畳(復元)を見ながら道なりに2km程進んだ荒町集落を超えた旧中山道沿いの北側の小山下に城址説明板があります。
かっては木曾義昌の支城として機能していたそうですが、現在城域の大半が畑地と山林になっている。主郭には小さな祠が祀られていますが、明瞭な遺構は残っていないようです。
2011.11.9
397 飯田城跡
 (長姫城)
  信濃(長野)
城門、曲輪・石垣・堀切
 (室町時代)
飯田城跡へ 河岸段丘の先端部から山伏丸・本丸・二の丸・三の丸が並び、天竜川をはるか下方に見下ろす飯田城は、天然の要害でしたが、その遺構のほとんどは失われ、わずかに桜丸御門と2つの移築門が現存し、水の手御門跡の石垣や、惣堀跡、本丸と二の丸の間にある堀切に当時の面影を残すのみです。 2011.10.27
396 金ヶ崎城跡
  越前(福井)
城戸跡、堀切・曲輪
 (平安末期?)
金ヶ崎城跡へ 金ヶ崎公園の駐車場から城跡まで遊歩道があり、金ヶ崎臨港トンネル真上の月見御殿跡のまん前は断崖で、火力発電所の貯炭場やセメントの積出港と海が見えます。
そこから城戸跡の方へ行くと、一の城戸跡から三の城戸跡があり、それぞれに立派な堀切が見られます。
2011.8.15
395 手筒山城跡
  越前(福井)
曲輪、櫓台
 (平安末期?)
手筒山城跡へ 城跡は現在公園化されており、主郭の南手筒山(標高171m)山頂には展望台があり、敦賀湾の向こうの敦賀半島、手前の金ヶ崎城跡などが良く見えます。主郭からは西方稜線で金ヶ崎城に向う北西郭や南方へ南郭、東郭があります。
手筒山山頂へ登るのは、浄化センタのある南側の手筒山登山口からの方が楽です。くれぐれも金ヶ崎城跡からの急な西側稜線は避けた方が良いです。
2011.8.15
77 甲府城
 (舞鶴城)
  甲斐(山梨)
櫓、石垣・門・堀
 (1585)
甲府城へ 平成4年からの史跡発掘調査、建物などの復元整備が前回訪城時より進んでおり、稲荷曲輪の「稲荷櫓」、北側の「山手渡櫓門」が復元されていました。
現在本丸「鉄門」の修復工事が行われていましたが、最高位の天守台からの眺めは甲府市内がよく見えます。
2011.5.9
2001.7.20
394 躑躅ヶ崎館跡
 (武田氏館跡)
  甲斐(山梨)
曲輪、土塁・堀・土橋
 (1519)
躑躅ヶ崎館跡へ 名門武田氏三代の居館跡ですが、水堀や空堀、土塁などがあり、要害堅固ではありませんが、旧大手口土橋の石組とその空堀などには見るものがあります。
現在は武田神社となっており、宝物殿にはかの有名な「風林火山」の御旗もあります。
2011.5.8
393 茅ヶ崎城址
  武蔵(神奈川県)
曲輪、空堀・土塁・虎口
 (室町時代)
茅ヶ崎城跡へ 城跡は、4つの曲輪と空堀、虎口が良く整備された状態であり、遊歩道もあり完全に公園化していました。 そのため、周りはコンクリート製杭やフェンスで区切られて、腰曲輪などには入れない状態で、残念です。 2010.11.28
392 知覧城跡
 (上木場城)
  薩摩(鹿児島)
曲輪、土塁・空堀
 (室町時代?)
知覧城跡へ 知覧城跡の駐車場入口にある説明板には、知覧城の航空写真がタイル板に写し出されています。
これを見ると本丸を中心に、シラス台地のヘリに出来た侵食谷を利用して空堀とし、今城や倉ノ城等10余りの郭を築いており、遺構の凄さが伝わってきます。
2010.10.12
391 知覧亀甲城跡
 (蜷尻城)
  薩摩(鹿児島)
曲輪、堀切・土塁
 (室町時代?)
知覧亀甲城跡へ 亀甲城は知覧城の出城で、蜷尻(みなじり)城とも呼ばれ、鹿児島市方面からの外敵侵入に備えた前衛的城塁だそうで、らせん状の道が頂上に達し、井戸や曲輪、堀切、土塁などが残されています。
北面に麓川が流れ、矢櫃橋(二重眼鏡橋)が架かっています。
2010.10.12
熊本城
 (銀杏城)
  肥後(熊本)
復興、宇土櫓他・門
・塀・石垣・堀
 (1467〜86)
熊本城へ 約3年ぶりに再興された本丸御殿を見るため再訪しましたが、闇(くらが)り御門からの地下の闇り通路や昭君の間の襖絵や天井画がすばらしいです。これだけで十分に来た甲斐がありました。
また、お城まつりの期間中のせいか、各見所には袴姿や甲冑を着た侍姿の説明の方がいて、記念撮影など一緒にしていました。ただ、残念ながら着物姿の女性の案内の人はいませんでした。
今回熊本城第U期復元整備募金の新1口城主となり、次回の再訪(西櫓御門や百間櫓などの復興確認)を誓ったのでした。
2010.10.12
2007.11.6
2001.8.10
1972.3.25
390 人吉城跡
 (繊月、三日月城)
  肥後(熊本)
曲輪、石垣・移築門
 (1573)
人吉城跡へ 最初に大橋を渡り、角櫓、長塀、大手門横長櫓を左に見ながら大手門橋を渡り、後口馬場跡、大台所跡を通り、左に水ノ手門跡、右に武者返しの付いたはねだし石垣を見ながら、堀合門から入城し、奥に見える坂など、どれをとっても素晴らしいです。
さらに、広々とした三の丸や二の丸跡、三の丸から二の丸への中の御門の枡形の石垣も素晴らしいです。
2010.10.12
389 岡城跡
 (竹田、臥牛城)
  豊後(大分)
曲輪、石垣・石塁
 (1594)
岡城跡へ 城址碑の所から見る登城道の石垣、大手門跡の石垣の大きさがまず見事です。
大手門跡から桜馬場跡沿いに本丸に向かって歩いて行き、籾倉跡の端から三の丸と二の丸の高石垣が重なって見える姿は、実に素晴らしのですが、さらに西中仕切跡を通って、三の丸の太鼓櫓跡の切込みハギの石垣が特に素晴らしいです。
また、清水谷を挟んで見る三の丸からの西の丸、西の丸・角座衛門屋敷跡からの三の丸・二の丸・本丸の遠望も素晴らしいです。
2010.10.11
388 小山田城址
  武蔵(東京)
曲輪、虎口・堀切
 (1171)
小山田城址へ 小山田緑地の北にある大泉寺本堂が城館跡で、その裏山が城跡である。
本堂裏山の東西の尾根に、東から2つの堀切、主郭、南虎口、二郭、西虎口・馬出が、馬蹄形の両側尾根には小郭が設けられているそうですが、「檀家・寺関係者以外、無断の立ち入りをお断りします」の看板に確認できませんでした。(でも、断れば、入山できたみたいですが・・・)
2010.9.20
387 小野路城址
  武蔵(東京)
曲輪、土塁・空濠
 (承安年間:1171〜74)
小野路城跡へ 鎌倉時代に小山田地域で栄えた小山田氏の支城として築かれた小野路城址周辺には、本丸を含む2つの曲輪や土塁、空濠などの遺構が残り、小町井戸、滝壺と呼ばれる湧水もあって、中世山城の面影を伝えており、周辺は図師小野路歴史環境保全地域にも指定されています。 2010.9.20
386 小丸城址
  越前(福井)
曲輪、石垣・堀跡・土居
 (1575)
小丸城跡へ 佐々成政が府中配置から越中移封までの6年間に築城した城で、味真野扇状台地末端に本丸・二の丸・三の丸が築かれています。
本丸には石垣の一部、その周囲には堀跡の一部残っています。
2010.8.15
385 府中城址
 (越府城址)
  越前(福井)
移築表門
 (天正年間)
府中城址へ 武生の地は、元々は越前国府があった所ですが、前田利家の府中城(館)は、朝倉氏時代の府中奉行所が前身といわれ、現在の市役所庁舎のあるところだったそうです。
現在遺構としては近くの正覚寺山門として移築された表門が残るのみです。
2010.8.15
384 龍門寺城跡
  越前(福井)
土塁跡、堀跡
 (1573)
龍門寺城跡へ 城跡というよりは、織田信長の武将富田長将による朝倉攻め、一向一揆征伐時に陣地として使われたのが始まりだそうです。
この城は、天正11年(1583)、前田利家が、賎ヶ岳の戦いで敗れた柴田勝家を迎えた城で有名です。
2010.8.15
383 新善光寺城址
  越前(福井)
土塁跡
 (南北朝時代)
新善光寺城址へ 南北朝の動乱期、越前国守護斯波高経によって築かれた城でしたが、新田義貞によって落城させられ、その城跡に正覚寺が創建されたそうです。遺構としては、寺地北側に土塁跡が僅かに残るのみで、寺山門にはかっての府中城の表門が移築されています。 2010.8.15
382 金剛院城址
  越前(福井)
土塁跡
 (戦国時代)
金剛院城址へ 城址碑があるが、実際には豊臣家臣の青木氏の居城跡で、往時館の四方を土塁と外堀で囲んでいたそうですが、現在は寺本堂の裏側墓地の西側に土塁跡が残るのみです。 2010.8.15
381 本保陣屋址
  越前(福井)
堀跡、陣屋址碑
 (1721)
本保陣屋址へ 江戸時代に幕府の陣屋が置かれていたそうですが、明治維新後、福井県初の「本保県」として県庁が置かれ、1年後に福井県に吸収されると、建物は全て売却されて畑地になってしまったそうで、遺構としては、近くに用水路として残る堀跡ぐらいです。 2010.8.15
380 清水山城跡
  越前(福井)
郭跡、濠跡
 (朝倉時代:1400〜1480)
清水山城跡へ 城跡の東半分は、日野川の堤防築造によって削り取られ、堤防左岸から西へ続く丘陵地が主郭跡で、毘沙門天の祠と樹齢六百年とも推定される大木と城跡碑があります。 2010.8.15
379 吉江藩館跡
  越前(福井)
館表門、館跡
 (1648)
吉江陣屋跡へ 河川改修工事で、館跡と町屋の間に新川が造られたため、館跡や一部七曲り道路はなくなってしまいましたが、移築されている館表門や七曲り通りの町屋の門や塀などは昔の城下町の風情をよく遺しています。 2010.8.15
378 水戸城跡
 (馬場城)
  常陸(茨城)
空堀、橋詰門・曲輪
 (1193)
水戸城跡へ 何処の城跡とも同じように、本丸、二の丸跡には、いくつもの学校が建ち、三の丸にも小学校や図書館、県庁舎などの公共の建物が建っています。
しかし、水郡線の線路や道路が通る本丸、二の丸の深く掘られた空堀は凄いです。 また、三の丸の深い空堀もよく残っていて見ものです。
2010.5.14
42 伊賀上野城
 (白鳳城)
  伊賀(三重)
復興、石垣・堀
 (1585)
伊賀上野城へ 昭和10年(1935)に一個人が私財を投じ現在の天守閣を再建したそうです。驚きですね!! 木造では日本最後の城だそうです。
特に、日本有数の高さ29.5mの内堀の高石垣は、上からでも下からでも見物ですよ。
2010.5.1
1999.8.17
377 名張藤堂家邸跡
 (名張陣屋、
  名張城)
  伊賀(三重)
邸跡、旧正門(太鼓門)
 (1585)
名張城跡へ 名張藤堂家邸は、宝永7年の大火以後に再建されたものの屋敷図によると畳数だけでも1,083畳にもなる大邸宅だったそうですが、明治初年に建物の大部分が取り壊されて、現在の「御西」と称された中奥、祝の間、茶室など日常生活に使用された奥向きの一部と正門(寿栄神社に移築)が残るだけになったそうです。 2010.5.1
376 霧山城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・堀切
 (1342)
霧山城跡へ 北畠氏館跡から南曲輪群の鐘突堂跡まで約1.1kmだったのですが、約25分の登山(霧山:562mの標識があり)は結構きつかったです。しかも、北曲輪群への下りの急な坂はすべるので要注意です。
北曲輪群の中心部の両側に高い土塁のある本丸跡は、広くて見晴らしも良かったです。
2010.5.1
375 北畠氏館跡
 (多気御所)
  伊勢(三重)
庭園、石垣・曲輪・土塁
 (15世紀末)
北畠氏館跡へ 館跡内で行われた学術調査の結果、南北2列に約80mにおよぶ川石を用いた石垣が発見されたそうですが、中世館跡では日本最古だそうです。庭園は「米」字形をする園池と立石による枯山水からなっています。
詰城跡は、館跡の裏山の尾根上にあり、2つの曲輪があり、比高差は約80mあります。
2010.5.1
374 大河内城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・堀切・石垣
 (1415)
大河内城跡へ 城は北へ突き出た丘陵突端部に、登城口沿いの南側には、搦手門跡の石碑のある搦め手口があり、その上にはしっかりした石垣が組まれています。
東側には、下から二の丸、本丸があり、さらに「まむし谷」を挟んで西の丸があり、それぞれに神社の社が建っています。
2010.5.1
373 阿坂城跡
 (白米城)
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・堀切
 (南北朝時代)
阿坂城跡へ 浄願寺下の駐車場から整備された登山道を登ること約35分で北郭の椎ノ木城が見え、さらに途中ニつの堀切を見ながら約3分で南郭の白米城にたどり着きます。
どちらの郭も山頂部が広く偏平されていて、特に白米城からの360度のパノラマは見ものですが、転げ落ちそうになる気分は、ちょっと怖い場所でもあります。
また、山頂に建つ城址碑の右上が少し欠けていますが、どうしてでしょうか。
2010.5.1
372 八田城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀・井戸・見張り台
 (室町時代)
八田城跡へ 道路からは、小山の麓に休憩施設、城址碑、説明板が見えて判りやすく、主郭への大手道(表道)と尾根沿いの裏道に順路の案内板などがあり、各曲輪もよく整備されています。
しかし、表道を上がってすぐの所の順路の案内板が、左側の石畳の道を指さずに山頂方向に向いていて、かつ何人かの足跡もあったので、だまされて主郭への直登コース(斜度45度以上で、どう見ても変だと思ったのですが)を登ってしまいました。帰りに正しい向きに直しておきましたが・・・。
2010.5.1
371 松ヶ島城跡
 (天守山)
  伊勢(三重)
土塁(天守台跡?)
 (1580)
松ヶ島城跡へ 細い道を歩いてゆくとビニールハウスの向こうにこんもりとした丘が、右手に見えます。
なぜか、石碑と説明板が東、西にバラバラに建っています。
2010.5.1
370 上津部田城址
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀
 (戦国時代)
上津部田城跡へ 上津部田城は、三重県総合文化センターの北西端に、道路建設によって消滅した部分を復元し、城の中心部分(主郭と空堀など)を史跡公園として整備されています。 2010.4.30
369 木造跡址
  伊勢(三重)
土塁
 (1366)
木造跡址へ 木造城は、伊勢街道に近い交通の要路で、平城形式で築かれていたそうです。
現在は、周りを水田に囲まれていて、農道沿いに僅かにこんもりと土塁が残っているばかりで、そこに案内板と、土塁上に昭和42年建国記念の日、城創建後六百二年、木造氏の子孫?名の刻まれた石碑が建てられています。
2010.4.30
368 宮山城址
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀
 (戦国時代)
宮山城址へ 宮山城は、戦国の世に敏太神社の裏山に築かれた砦だそうです。
立派な敏太神社の社殿の左手にある説明板のそばを上がって、赤い鳥居をくぐって登っていくと、土塁や空堀が多数見えてきて、主郭の虎口には赤い鳥居、主郭には稲荷神社がありました。
2010.4.30
367 家所城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀・堀切
 (1362)
家所城跡へ 家所盆地の中心に位置し、孤立した丘陵にある城域は、長方形の主郭で周りを土塁を巡らし、南側の侍屋敷跡に縄張り図と説明板があり、その上の順路札に従い虎口跡から主郭へ入ることが出来ます。
特に見ものは北側の見張り台跡とそのすぐ左手の抜け穴跡(実際どのように抜け出るのか不明ですが)、それから主郭の東西にある深さ8mはあろうかと思われる空堀跡です。
2010.4.30
366 安濃城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀・櫓台
 (弘治年間:1555〜58)
安濃城跡へ 安濃城は、安濃川左岸の標高30mから59mの丘陵上に築城された平山城で、現在、阿由太神社の境内となっている主郭は、周囲を空堀と土塁が取り囲み、南西角には櫓台跡があります。
主郭の南北には、2から3つを一対とした二列の曲輪が並んでおり、その規模・形態ともに中伊勢地域最大の城跡だそうです。
2010.4.30
365 伊勢上野城跡
  伊勢(三重)
曲輪、櫓台・土塁・空堀
 (1570)
伊勢上野城跡へ 現在城域は、本城山青少年公園となっていて、本丸北端の櫓台跡にはコンクリート製の展望台、本丸南東側一段下の二の丸はアスレチック設備のある広場になっていて、訪城時には、近くの小学生が遠足で訪れていて、弁当など食べていました。
本丸、二の丸を囲む南、北、西の平坦地は、家中の侍屋敷が建ち並んでいたそうですが、現在はグランドや駐車場、庭園化していました。
2010.4.30
364 正法寺山荘跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・井戸・礎石・土壇
 (1504)
正法寺山荘跡へ 正法寺山荘は、羽黒山を背にして三方を小野川の清流が流れ、自然の要害の地に元々は山城があったようですが、その後、正法寺をはじめ五つの寺院が堂宇を構えていたそうです。
昭和52年より10年間にわたる関町・国・県による発掘調査の結果、四棟の建物址、整然と石積みされた排水溝、井戸などが検出され、整備されており、土塁や土壇なども見ごたえがあります。
山荘への入口の関宿の散策も時間があれば、是非歩いてみるのもよいかもしれません。
2010.4.30
363 鹿伏兎城跡
 (牛谷、白鷹城)
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・石垣・井戸
 (正平年間:1346〜69)
鹿伏兎城跡へ 鹿伏兎城は、JR加太駅の背後の山に築かれており、駅の西側の線路を渡った所にある神福寺の山門前に石碑と縄張り図付きの説明板があります。
神福寺の境内は城主居館跡と言われており、その西側の墓地裏から山道を20分程登ると山頂の城跡へ着きます。
現在でも標高264mの山頂の75x60mの台状地に土塁や石垣、井戸が現存し、往時を偲ばせます。
2010.4.30
362 峯城跡
  伊勢(三重)
天守台、曲輪・櫓台・土塁・空堀
 (正平年間:1346〜70)
峯城跡へ JAのある交差点を右折して農道に入ると左前方に白い説明板が見える小高い山(標高85m程度)が峯城です。 登城口は、この説明板から山を左周りに一部沼地化している平坦地をいくと、城址標柱がありそこから登れます。
主郭の西側には天守台や、それに続く土塁があり、さらに北に進むと2つ曲輪があり、それぞれには虎口や櫓台が確認できました。
2010.4.30
361 古城跡
  伊勢(三重)
曲輪、土塁・空堀
 (1583改築)
古城城跡へ 八島川へ下る道路の左側にはすでに深い空堀があり、その道路右には主郭正面への虎口が確認できますが、中は竹と藪だらけで主郭へは侵入できませんでした。
唯願時の左横を進み城域に北側から入るとすぐに高さのある土塁と3重の空堀、長大な横堀が目に入ってきます。
2010.4.30
360 平山城址
  武蔵(東京)
曲輪
 (鎌倉時代)
平山城址へ 京王平山城址公園駅から案内にしたがって城跡に向うと、どん詰まりの先には、U字の崖に囲まれてしまいました。 そこから急峻な土手道を上がると、台地先端部にある季重神社に出ます。
さらに進むと「都立平山城址公園」といわれ、入口を白壁塀で飾っている公園入口すぐ上の土塁(尾根道)に出ます。
城址といっていますが、元々は砦のようなものがあっただけのようです。
2010.4.18
359 片倉城跡
  武蔵(東京)
曲輪、堀切
 (鎌倉時代)
片倉城跡へ 駅のすぐ近く(約400m)の国道16号線沿いの小高い丘ですが、周囲は予想以上に急崖です。
北側下の公園から登ると本丸、二の丸は芝生公園、三の丸と思われる場所は畑になっていますが、とくに二の丸、三の丸は広々していています。
本丸を隔てる堀は埋もれて浅くなっていますが、二の丸と三の丸の間にも幅広く、深い空堀が残っています。
2010.4.18
358 津久井城跡
 (別名:築井城)
  相模(神奈川)
曲輪、堀切・土塁・虎口・井戸
 (鎌倉時代)
津久井城跡へ 城山と呼ばれる城跡は、津久井湖岸とは反対の根小屋側から登るとよく整備された道があり、とてもゆるやかで急なところはほとんどありません。
コースは男坂コースを女坂コースの2つあり、男坂は急で鎖をたどって登り、女坂はなだからですが、距離があります(大体本丸まで1時間)。
城山山頂の本城曲輪からいくつかの堀切を越えて、東へ太鼓曲輪、飯縄曲輪、鷹射場へと向い、そこで相模川越しの町田方面を一望できます。
2010.4.18
357 宇都宮城址
 (亀ヶ丘、唐糸城)
  下野(栃木)
復元櫓、曲輪・土塁・堀
 (1063)
宇都宮城址へ 宇都宮城は、戊辰戦争の際に、土方歳三らが率いる旧幕府軍に攻められ、建物の大半が焼失してしまったそうですが、平成19年3月に、櫓などを復元し、公園としてよみがえりました。
それにしても、櫓の立つ本丸を囲む土塁の高さは高いものです。堀を掘った土を積み上げたのでしょうか。現在は土塁上にはエレベータで上がることができます。
2010.3.20
356 長福城跡
  下野(栃木)
土塁、空堀
 (1381?)
長福城跡へ 長福城の大半の遺構は、グランドの下側に埋もれてしまったそうですが、思川との間に土塁と空堀跡が僅かですが残っていました。
また、西側の台地との間の今は道路になっているところは空堀跡でしょうか、その手前には土塁もどきもありましたが。
2010.3.20
355 鷲城跡
  下野(栃木)
曲輪、土塁・空堀・虎口
 (応安年間:1368〜75)
鷲城跡へ 鷲城は、思川東岸の台地上に築かれ、本丸(中城)と外城の間の高さ5mもの土塁と幅8m深さ10m近くの巨大な空堀は見ものです。空堀は歩いていけますが、最後の部分で民家のフェンスに阻まれます。
北側の櫓台はフェンス等があって入ることが出来ませんでしたが、国道沿いの歩道からも見ることができました。
2010.3.20
354 古河城跡
  下総(茨城)
出城跡、城門(移築)・土塁
 (鎌倉時代初期)
古河城跡へ 現在本丸跡は、大正年間の渡良瀬川改修工事で河川敷の下に取り込まれてしまい、堤防の上に本丸跡の標柱があるのみです。しかし、その堤防のそばには高さのある土塁跡や家老屋敷の長屋門、寺に移築された城門などが見ることが出来ます。それらを、駅前で無料の桃チャリを借りて効率よく見て周ってはいかが。 2010.3.20
353 古河公方館跡
 (鴻ノ巣館)
  下総(茨城)
土塁、空堀・水堀
 (1455)
古河公方館跡へ 古河公方館は、現在の広大な古河総合公園内にあります。御所沼と堀に囲まれた比高4mの半島状台地にあり、沼の切れている近くには広く深い堀切があり、半島部と旧民家が建つ曲輪跡を分けています。また、御所沼の南側は、高い土塁と堀(排水路?)が二重に展開されています。
訪問日は『古河桃まつり』初日で、人出も多かったですが、公園北側の桃林の花はまだ三分咲きでした。
2010.3.20
352 祇園城跡
 (小山城)
  下野(栃木)
曲輪、空堀
 (14世紀後半)
祇園城跡へ 大きな空堀で分断して、数多くの曲輪の跡が、今も思川沿いに整備され、残っています。 その南側には、道路を挟んで、思川に向って、高い石垣を持つ小山御殿跡が、現在発掘調査中でした。 2010.2.6
351 中久喜城跡
 (栃井城)
  下野(栃木)
曲輪、空堀・土塁
 (14世紀後半)
中久喜城跡へ 中久喜城は、JR水戸線によって南北に分断されていて、そのせいか、南側の本丸跡は、余り手が入っておらず、空堀跡の入口には不法投棄が目立ちます。
しかし、南側の入口から広い本丸跡へ入ってみると、その周囲を高い土塁が巡っており、整備すれば、その大きさが目立つと思うのですが。
2010.2.6
350 結城城跡
  下総(茨城)
曲輪(館)、空堀
 (治承年間:1177〜1180)
結城城跡へ 周辺の田畑から比高15m近くの台地の上に5つの曲輪を分かつ内堀がありますが、特に館と西館の間に残る深さ6〜7m、幅20〜25mに及ぶ空堀は凄いです。 2010.2.6
16 小田原城
 (小峯城)
  相模(神奈川)
復興、石垣・堀
 (1416)
小田原城へ 小田原駅の観光案内所で小田原駅周辺の『歴史と文化の香るまち散策コース』(3時間、8.2km)のガイドブックを入手し、廻って見ました。
通常の見学コースでは見れない早川口遺構、幸田門遺構や城山公園の小峰の大堀切など見るものがありました。
再興された銅(あかがね)門、馬出門などのほか、天守閣内の展示物の北条氏五代の繁栄の跡と、豊臣秀吉の小田原城攻め等が興味を引きます。
春は、ソメイヨシノが満開で、城址公園の中は花見客で賑やかです。また5月3日に行われる北条五代祭りの武者行列も必見です。
2009.10.4
2007.11.25
2004.2.7
〜2001.5.4
1992.4.26
1989.2.5
1983.1.23
1974〜
現住所近く
349 伊香保関所跡
  上野(群馬)
関所建物(復元)、門柱跡
 (1631)
伊香保関所跡へ 伊香保関所は、伊香保神社から石段街を降りていくと、最下段の「石段の湯」の下にありました。 こじんまりとして、説明板もあり、入館無料です。 2009.9.19
98 竹田城
 (虎伏城)
  但馬(兵庫)
石垣、堀
 (1443)
竹田城へ JR竹田駅からの青空に写る竹田城の石垣もよかったですが、早朝(朝9時ごろ)の頂上の天守台や各見張り台などからの眺望はもっと素晴らしかったです。櫓などないですが、また来てみたくなる場所です。
竹田城への行き/帰りとJR竹田駅の駅長さんに親切にしてもらいました。電車の乗り継ぎの時間などで教えていただいたり、更には但馬・和田山町の山城の郷のパンフレット(竹田城跡、立雲峡)までもらいましたよ。
2009.8.13
2001.8.13
348 黒井城跡
 (保月、保築城)
  丹波(兵庫)
曲輪、石垣・土塁・空堀
 (1335)
黒井城跡へ 結構キツイ登城道の坂(斜度30〜45度以上)を約30分を登ると主郭に到着しますが、途中15分ぐらいの所の「石踏の段」での見晴らしや、更に8分後ぐらいの「東曲輪」の立派な石垣に出会うと、あとは三の丸、二の丸、本の丸とすぐです。
どの曲輪からも見晴らしがよいのですが、特に本丸からの360度のパノラマは本当にすばらしいです。でも、それにしてもよくこんな山頂にこれだけの広い曲輪を作れたものだと感心します。
2009.8.13
347 黒井下屋敷跡
  丹波(兵庫)
水濠、白塗り塀 黒井下屋敷跡へ 黒井城の麓にあるお寺「興禅寺」が下屋敷跡であり、現在でも水堀が残っています。
下屋敷は黒井城落城後は、城代が置かれ、興禅寺境内を陣屋と定められ、その後、徳川三代将軍家光の乳母となった「おふく(春日局)」が生れた地だそうで、それを記念する庵が設けらていました。
2009.8.13
346 三田城跡
 (車瀬城)
  摂津(兵庫)
堀、移築門
 (天正年間:1573〜)
三田城跡へ 城跡は武庫川に突出した丘陵の先端部の要害にあり、「三田小学校」が本丸、「有馬高校」が二の丸だったようです。両校の間には立派な水堀が、高校の東側には空堀跡が残っていました。 2009.8.13
345 池田城跡
  摂津(大阪)
模擬櫓、模擬門・城壁・曲輪
 (室町時代初期)
池田城跡へ 池田城は、主郭部分が城址公園として整備され、発掘調査の結果に基づいて、虎口・土塁・排水溝などが復元され、二層の模擬櫓と4ヶ所の模擬城門がもうけられています。
しかし、私の登城は、残念ながら開門時間(9時)前で、中には入れず、外観のみでした。
2009.8.13
344 有岡城跡
 (伊丹城)
  摂津(兵庫)
曲輪、土塁・石垣・井戸
 (鎌倉末期)
有岡城跡へ JR伊丹駅の西出口の道路を渡るとそこが「城址公園」となっていて、空堀と土塁が残っています。 2009.8.13
343 尼崎城址
 (琴浦、尼丘城)
  摂津(兵庫)
模擬石垣、城壁・堀
 (1617)
尼崎城址へ 城跡は、阪神電鉄「尼崎駅」の西隣の庄下川沿いの「城址公園」に石垣や城壁が復元されています。その隣の図書館や桜井神社、明城小学校、成良中学校が城地だったようです。
神社の北西隅に「尼崎市発祥之地尼崎城址」の石碑があります。
2009.8.13
342 太田城跡
 (易井屋敷)
  紀伊(和歌山)
移築門、土塁
 (延徳、or、天正年間)
太田城跡へ 遺構は、移築門とその城跡碑ぐらいしか、確認できませんでしたが、その昔は根来寺・雑賀衆とともに豊臣秀吉に抵抗して籠城し、後には太田城も秀吉得意の水攻めにあい、開城したそうです。 2009.8.12
341 湯浅城跡
  紀伊(和歌山)
曲輪、土塁・空堀
 (1143)
湯浅城跡へ 城跡は、模擬天守風の「国民宿舎 湯浅城」の右手(南)の小山ですが、登城口が見つからず、断念しました。 2009.8.12
340 紀伊亀山城跡
 (湯川・丸山城)
  紀伊(和歌山)
曲輪、土塁
 (1440)
紀伊亀山城跡へ JR御坊駅から史跡めぐりハイキングコースの案内板に従って行けば、まず道に迷うことはないとのことでしたが、丸山中央集会場を過ぎたすぐのBの案内板が右折したすぐの木の葉に隠れていて見逃し、通り過ぎて山の周りをかなり歩いてしまいました。
亀山の最高所に、二段になっている本の丸とその北側に二段の曲輪が配置されていますが、本の丸の高い土塁はすばらしいです。
2009.8.12
339 小松原館跡
  紀伊(和歌山)
水堀
 (1549)
小松原館跡へ JR紀伊本線「御坊駅」の東南約400mの「湯川子安神社」とその西隣の県立紀央館高校一帯が城跡のようですが、神社に水堀の一部が残る程度です。 2009.8.12
338 紀伊田辺城跡
 (錦水城)
  紀伊(和歌山)
水門跡、石垣
 (1619)
田辺城跡へ 明治維新後、廃城となり、城跡としては会津川沿いの「錦水公園」に水門跡の石垣が残るばかりです。
現地説明版には城の見取り図(建物の配置図)があるばかりです。
2009.8.11
337 八幡山城跡
  紀伊(和歌山)
曲輪、土塁・空堀・竪堀
 (室町時代)
八幡山城跡へ 登城口にお城の縄張り含めた説明板があり、登城口は整備されています。
二の曲輪・三の曲輪の高さのある土塁と堀切・横堀もすばらしいのですが、一の曲輪下の岩盤を削った跡の堀切と幅が広く、長い竪堀は他にはないぐらいにすばらしく、必見です。
2009.8.11
336 紀伊大野城跡
  紀伊(和歌山)
曲輪、土塁・出丸
 (不明)
紀伊大野城跡へ 大野城跡の案内看板のあるところは、どうも出丸のようで、こんもりとした築山に扁平なところに墓があるだけでした。
城跡は、その城跡案内板をそのまま直進し、出丸西側の「春日神社」の西側の土塁上が主郭跡のようです。
2009.8.11
335 新宮城跡
 (丹鶴、沖見城)
  紀伊(和歌山)
曲輪、石垣・天守台・堀
 (1618)
新宮城跡へ いずれの曲輪へも枡形の虎口の石階段を登って上がる構造で、切り込みはぎや打ち込みはぎの石垣はすばらしいです。とくに出曲輪はいろいろな角度から見てもすばらしいものがあります。
本丸から見る熊野灘や熊野川、新宮市内の風景もよいです。
現在「丹鶴城公園」として整備、保存されていましたが、残念ながら船着場のある水の手には、がけ崩れの危険ありとのロープ等でいくことは出来ませんでした。
2009.8.10
334 鵜殿城跡
  紀伊(三重)
曲輪、土塁・堀切
 (鎌倉時代)
鵜殿城跡へ 「矢淵中学校」の東側の小高い丘の上にほぼ円形の土塁で囲まれた主郭のある城跡があります。
現在「ふるさと歴史公園」として整備され、駐車場も完備されており、整備された遊歩道に従って登城するのもよいのですが、本当の登城口は、公園入口手前の民家の横の道を上がっていくようです。途中には虎口跡のような囲みもあります。
2009.8.10
333 赤木城跡
  紀伊(三重)
石垣、曲輪
 (1589)
赤木城跡へ とにかく、石垣群で縄張りされ、枡形虎口もよく残り、各曲輪からの見晴らしもよく、さすが藤堂高虎の築城だけはあります。
現地は、史跡公園として整備され、駐車場、トイレも完備しています。
2009.8.10
332 箱根関所
  相模(神奈川)
関所(完全復元)
 (1619)
箱根関所へ 以前(20年以上前)に訪れた時は旧道沿いに柵に囲まれて関所跡の取調べの大番所があっただけだったのに、再訪したら、なんと平成11年度からの関所跡地の発掘調査から始まって、各種建物、周辺環境整備を行って、完全復元された箱根関所が平成19年春から全面公開されていました。
それにしても、結構近くはよく通っていたのに、その期間に再訪せずにいたものです。
2009.7.11
331 米沢城跡
 (松岬、舞鶴城)
  羽前(山形)
土塁、水堀跡
 (1238)
米沢城跡へ 方形の本丸跡には、上杉神社が祀られており、今でも土塁外側を水堀に囲み、東西南北を土橋、または橋で行き来できます。
また、本丸の南側の二ノ丸跡には、伝国の杜(上杉博物館・置賜文化ホール)・松岬神社・上杉城史苑があり、一部土塁、水堀が残っています。
2009.5.1
330 中山城跡
  羽前(山形)
曲輪、土塁・櫓台・虎口
 (永禄・元亀年間:1558〜73)
中山城跡へ 城地は、山形盆地から米沢に抜ける旧羽州街道沿いに道が狭くなった中山地区の南東部に張り出した独立丘陵(標高340m、比高90m)に築かれています。
観音堂のある紅山から前森山や城跡のある天守山を見て、そして天守山麓の御役屋を見て、それで良しとしても良いのですが、城跡説明板の横の分かりにくい登城口を入り、途中迷わないように10分ぐらい登って、本曲輪まで行くことをお勧めします。頂上部の物見台(天守台)の周囲総石垣は山城としては、非常に珍しいものです。
2009.5.1
329 長谷堂城跡
  羽前(山形)
曲輪、腰郭
 (1514以前)
長谷堂城跡へ 城地は、南北約670m、東西約400mの小規模な独立丘陵に主郭が築かれ、頂上からは城内各所への見通しがよいのみならず、山形盆地が見渡せる位置にあります。
登城口も東側の大手門口、観音坂口、西側の西向口、湯田口などありますが、整備された長谷堂城跡公園のある北側の八幡口が便利です。
2009.5.1
328 畑谷城跡
  羽前(山形)
曲輪、空堀
 (戦国時代)
畑谷城跡へ 最上氏武将の江口氏が守る畑谷城は、関ヶ原合戦にあたり、上杉氏の直江兼続に滅ぼされたが、その主郭は畑谷集落背後比高70mの館山山頂部に位置し、その主郭周囲には珍しい二重堀が巡っていました。ただ、更にその西部下の三重堀は整備されておらず、確認できませんでした。
それにしても、麓東側の尖り森(標高575m)からの見通しを防ぐ、侵入を防ぐ目的で築いた大規模な東部大空濠とその高く盛り上げられた土塁、更にそれに続く空堀の凄さには驚きました。箕輪城跡の大空堀にも対抗する規模で必見です。
2009.5.1
53 山形城
 (霞ヶ城)
  羽前(山形)
門、土塁・水堀
 (1357)
山形城へ 広大な二の丸とその周りの土塁の上を散歩やジョギングの人が大勢いました。私も、各門跡の写真を撮りながらでしたが、約1時間ぐらいかけて一周しました。
明治になって軍隊のために埋め立てられた本丸大手門(一文字門)石垣の修復工事もほぼ終了状態で、今後は本丸御殿跡の修復の予定とのこと。何年か後には二重櫓の復元もされるのでしょうか?
2009.5.1
2000.5.2
327 天童城跡
 (天童古城)
  羽前(山形)
曲輪、土塁
 (1375)
天童城跡へ 天童古城は、最上氏をも凌ぐ勢力を誇った天童氏の本城で、舞鶴山山頂部に主郭が置かれ、八方に延びる尾根筋に八つの楯(館)が配置されていたそうです。
くれぐれも、人間将棋が行われる舞鶴公園は主郭ではなく、愛宕神社や物見台のある方が主郭ですので、ご注意願います。
2009.4.30
326 中野城跡
  羽前(山形)
門跡
 (応永年間:1394〜1427)
中野城跡へ 現在本丸跡は大郷小学校の校地となっており、南西部に位置した二ノ丸を含み宅地化され、門跡の標柱があるだけで、遺構等は何もない状態です。 2009.4.30
325 山野辺城跡
 (山野辺陣屋)
  羽前(山形)
土塁、堀跡・陣屋玄関
 (前九年の役時代:1051〜62)
山野辺城跡へ 本丸跡は消防団本部や山辺小学校の敷地となっています。
二ノ丸跡は山辺小学校、中央公民館の敷地になり、周囲に切岸が確認できます。
また、山野辺陣屋跡の玄関が唯一の現存建造物として公民館横に残っています。
2009.4.30
324 左沢(あてらざわ)
楯山城跡
  羽前(山形)

 (14世紀後半)
左沢楯山城跡へ 城地は、最上川が転換する左岸の北側に位置し、自然の沢を巧みに取り込んで、主郭にあたる八幡座、寺屋敷のある北側丘陵と三の郭にあたる八幡平とその東側に二の郭にあたる千畳敷を配置した南側丘陵からなり、それぞれには段々状の帯郭や堀切がよく残っています。
三の郭の楯山公園へは車で行くことができ、その上の八幡平は結構広く、整備されていませんが、そこからの主郭へは手の届く位置にあり、すぐにでも登れそうな雰囲気です。
2009.4.30
323 東根城跡
 (小田島城、
  東根陣屋)
  羽前(山形)
土塁、水堀
 (1356)
東根城跡へ 城地は、南端に本丸を位置し、その北・西・南側を覆うように二ノ丸、更にその外側に三ノ丸をおいて、北側と北東側に沼地が存在し、堀の役目を果たしていたそうです。
現在は、本丸跡は東根小学校があり、正門横には、樹齢1500年以上といわれる大ケヤキが残っています。しかし、二ノ丸、三ノ丸は宅地化され、遺構はほとんど残っていません。
2009.4.30
322 長瀞城跡
 (雁城、長瀞陣屋)
  羽前(山形)
曲輪、水堀
 (建長年間:1249〜56)
長瀞城跡へ 城地は、方形状の平城で、本丸を中心に外側に二ノ丸、三ノ丸を三重の水堀で囲み、各郭は土塁で囲まれていました。
現在、全て宅地化され、二ノ堀は一部埋められていますが、それでもまだ幅広くの残っています。
2009.4.30
321 新庄城跡
 (沼田、鵜沼城)
  羽前(山形)
土塁、石垣・水堀
 (1580)
新庄城跡へ 本丸は長方形で、周囲は土塁を巡らせ、その外周は今でも幅の広い水堀が囲んでいます。ただ、西側の堀跡には現在、水がありませんが、当時から空堀だったでしょうか。
本丸表御門跡の石垣はなかなかの規模です。しかし、本丸跡には3つの神社がありますが、ちょっと多すぎないですかね。
2009.4.30
320 鮭延城跡
 (舞鶴、真室城)
  羽前(山形)
曲輪、堀切
 (1534)
鮭延城跡へ 城地は、真室川の東側丘陵上に位置し、西端に主郭、その東側に二之郭、三之郭が取り囲んで、東端には2本の空堀が存在し、大手道があったとされていますが、大手門跡の標柱も根元から腐って、倒れており、整備状況が余り芳しくなく、萱がいっぱいで確認できませんでした。
でも、内町内の搦め手門跡からの登城口は整備され、主郭からの眺望は最高です。
2009.4.30
319 亀ヶ崎城跡
 (酒田、東禅寺城)
  羽後(山形)
土塁
 (1478)
亀ヶ崎城跡へ 城域は、方形の郭を堀で区切って、東側に本丸、西側に二ノ丸を設け、更にそれらを二重の外堀で囲み、南側に三ノ丸、西側を流れる新井田川を隔てて四の丸を設けていたそうです。
現在本丸・二ノ丸跡は酒田東高校、三ノ丸跡は亀城小学校、四ノ丸は酒田商業高校の敷地になって、遺構としては、二ノ丸に土塁の一部が残るのみです。
その他に、三ノ丸南側にあった搦め手門が、唯一の現存建造物として、円通寺(市内吉田)山門として移築されているそうですが、事前調査で場所が分からず、見損ねました、残念。
2009.4.29
318 城輪柵跡
  羽後(山形)
復元門、復元塀
 (平安時代)
城輪柵跡へ 平安時代の初めから終わりまでの約400年間にわたる出羽国の国府跡と言われ、 昭和6年に発見された一辺が約720m、52haの広大な遺跡です。
現在、政庁南門、東門および築地塀の一部を復元し、歴史公園として親しまれています。
2009.4.29
317 新田目城跡
  羽後(山形)
土塁、水堀
 (11世紀後半)
新田目城跡へ 城地は、不整な方形状(東西70〜90間x南北50〜60間)であり、周囲は水堀で囲まれ、その内側に土塁を設けていたようです。
現在、城跡の東半分は大物忌神社の境内、西半分は酒田市北部農民センターになっており、北側に水堀の一部が残るのみである。
2009.4.29
316 砂越城跡
  羽後(山形)
曲輪、土塁・水堀
 (1154)
砂越城跡へ 本丸跡は、現在諏訪神社境内として、長方形(東西42間x東西35間)の規模で、周囲を土塁で囲み、その周囲を水堀が覆っています。 2009.4.29
315 出羽松山城
 (中山館、松山陣屋)
  羽後(山形)
大手門、土塁・石垣・水堀
 (14世紀後半)
松山城へ 城としての遺構は、かっての本丸跡の松山文化伝承館敷地内に、唯一の現存遺構である大手門とその周辺に僅かに水堀・馬出跡土塁、そして外濠公園に十三間堀跡が残るのみです。 2009.4.29
314 狩川城跡
 (楯山城)
  羽前(山形)
曲輪、空堀
 (不明)
狩川城跡へ 笠山から北へ突き出た尾根を利用して、先端部の本丸へは、深い空堀を渡って入る構造で、東西100mx南北130m程で、東側と西側に帯郭があります。最北側には麓のから階段が設けられ、直登出来ますが、多分後世の物でしょうか。
本丸跡南側には二ノ丸、三ノ丸跡が位置していますが、遺構はほとんどなく、現在はグランドゴルフ場や野球場などになっています。
2009.4.29
313 平形館跡
  羽前(山形)
土塁
 (鎌倉時代?)
平形館跡へ 平形館は、単郭の方形状でかつては、外周を土塁で囲み、その外側に外堀を擁していたそうですが、現在は、大半が農地となり、土塁・堀もほとんどなく、更に羽越本線によって分断されています。
唯一西側の土塁の一部が残っているのみです。
2009.4.29
312 藤島城址
  羽前(山形)
土塁、水堀
 (和銅年間:708〜14)
藤島城跡へ 成立が、和銅年間(708〜14)平形に出羽の国府が置かれた頃の府城が始まりとのことで、かなりの歴史があるようです。
遺構としては、主郭に高さのある土塁と水堀跡が残っています。
2009.4.29
311 尾浦城跡
 (大浦、大山城)
  羽前(山形)
曲輪、土塁・空堀
 (1533頃)
尾浦城跡へ 中心の主郭はほぼ方形で、西端には土塁が設けられています。
主郭の西側には、大堀切を隔てて副郭が位置し、その周囲に無数の郭があります。
麓には水堀に囲まれた二ノ丸や三ノ丸があったそうですが、南側、南西側入り口に挟まれた広場と空堀は二ノ丸跡でしょうか?
2009.4.29
310 鶴ヶ岡城跡
 (大宝寺城)
  羽前(山形)
曲輪、土塁・水堀
 (戦国時代)
鶴ヶ岡城跡へ 本丸・二ノ丸が鶴岡公園となっています。本丸内堀や、その周りの二ノ丸には高さのある土塁と広い幅の二ノ丸外堀がしっかり残っています。
城跡以外にも、三ノ丸の東側の藩校致道館(一部現存)をはじめ、大正天皇即位記念して創建されたバロック様式の大寶館(今は人物博物館)など見るところがたくさんあります。
2009.4.29
309 丸岡城跡
  羽前(山形)
曲輪、堀・井戸跡
 (戦国時代)
丸岡城跡へ 遺構としては、大手門跡北側の外堀や百間堀跡を残すのみで、他には再現中?の本丸跡野中の堀跡ぐらいです。
ただこの丸岡の地は、加藤清正の嫡子忠廣が突如改易となり、庄内藩に預けられ、館を与えられた場所でもあり、その関係の墓石等が本丸内天澤寺裏にあります。
2009.4.29
308 鯖江陣屋跡
  越前(福井)
移築門、長屋門
 (江戸時代)
鯖江陣屋跡へ 鯖江陣屋は、かみさんの実家近くで、帰省の度に近くは通っていたのですが、このたび初めて散策しました。
鯖江市内の屋形町一帯が陣屋跡ですが、現在は公園内に陣屋跡の石碑や案内板があるだけでその痕跡は何もなく、駅近くに家老を務めた植田氏長屋門や萬慶寺に移築された陣屋の赤門があるだけです。でも旧北陸街道沿いを歩くのも古い町並みを見ながら良いものですよ。
2009.3.20
307 土肥城址
 (尾根城)
  相模(神奈川)
曲輪、土塁・堀切
 (室町時代)
土肥城址へ 城山山頂までの整備された尾根道が曲輪跡のようですが、その他には山頂の城址碑のみでこれとはっきり分かる遺構はありません。でも城山山頂からの真鶴半島や向かいの幕山など、360度の展望は最高です。
でも本当に頼朝こんな山の上で、源氏再興の旗をあげたのでしょうかね・・・。
2009.2.15
54 上山城
 (月岡城)
  羽前(山形)
復元、土塁・堀
 (1535)
上山城へ わが故郷の丸岡城のたたずまいにも似たお城でした。ただその違いは、JR山形新幹線が停車し、温泉のある町であり、その賑やかさは羨ましいものです。
4軒の武家屋敷も茅葺きのままに残されており、現在住んでいる人の屋敷維持の大変さがうかがえます。
帰りには100円で入れる7軒ある公衆浴場の一つに入り、気持ち良くサッパリとして、つばさに乗りました。
2008.12.14
2000.5.2
306 高山陣屋
  飛騨(岐阜)
表門、玄関・大広間・蔵
 (1692)
高山陣屋へ 日本でただ一つ現存する徳川幕府の郡代役所で、江戸時代のままの表門や玄関・大広間・蔵などはすばらしいです。
復元された他の建物も見どころがたくさんありますが、特に寺院・町年寄・町組頭詰所は、江戸時代の職域・身分で部屋まで分けていた様子が良くわかります。
陣屋見学後は、朝市で買い物や古い町並で地酒を嗜むのもよいですね。
2008.8.13
305 高山城址
 (天神山城)
  飛騨(岐阜)
曲輪、石垣・土塁・水堀
 (永正年間:1504〜21)
高山城址へ 廃城時に徹底的に破壊されたようですが、それでも、本丸、天守郭、中段屋形、出郭、二の丸や、三の丸とその水堀などが、原型を留めています。
また、天守郭や大手門には虎口石垣も復元されています。
2008.8.13
304 高梨氏館跡
 (中野小館、高梨、中野城)
  信濃(長野)
曲輪、土塁・空堀・虎口
 (室町時代)
高梨氏館跡へ 周囲に土塁と空堀を廻らした長方形(東西130m・南北100m)の単郭式縄張りです。
空堀には3ヶ所土橋が設けられており、土塁は幅広く、内部から3m、堀底から5m以上もの高さの所もあります。
それにしても、土塁の中に漆喰で固められた築地塀が埋まっていたなんてすごいです。
2008.8.12
303 飯山城跡
  信濃(長野)
曲輪、石垣・復元城門
 (1564)
飯山城跡へ 飯山城は、越後・上杉謙信の春日山城とも僅かな距離で、甲斐・武田信玄に対抗して、越後防衛・信濃侵攻の前進基地として築いた平山城です。
東側背後に天然の堀となる千曲川を控え、小高い丘の上に本丸・二ノ丸・三ノ丸を南北に連ねて、ほかに西郭や北に外郭があります。
本丸の枡形虎口とその石垣は、結構見ごたえがありますが、城下に移築されていた門を復元させた城門は、なぜかかえって場違いな雰囲気です。
2008.8.12
302 荒砥城跡
  信濃(長野)
曲輪、復元石垣・模擬井楼櫓・門
 (1524)
荒砥城跡へ 眼下の千曲川沿いに展開する戸倉上山田温泉の観光資源として、城山史跡公園として整備された荒砥城跡に、遺構らしいものはほとんどないそうです。
復元整備された本丸には城主の館・兵舎・矢倉門・石垣、二の丸には模擬井楼櫓・兵舎・矢倉門・石垣などが、復元されています。
でも、三の丸から二の丸への通路下には遺構らしき石積みがありますが、本物でしょうか。
2008.8.12
301 矢沢城跡
  信濃(長野)
曲輪、石垣・堀切
 (不明)
矢沢城跡へ 矢沢城は少々分かりにくい場所にありますが、それでも矢沢集落の細い道を上へ上へと登っていくと大日堂があり、その横に「矢沢城跡」の解説板があります。
城域は公園化しており、余り大きくありませんが、1郭から4郭と帯郭が多くあり、かなりの高さだと思っていたのですがすぐ裏には、溜池(小規模ダム)まであります。
2008.8.12
※ 各城の紹介文には、現地の説明板や登城時に入手したパンフレット、
  「日本名城の旅」(日地出版発行)、「図説・日本の名城」(河出書房新社発行)、
  「復元イラストと古絵図で見る日本の名城」(碧水社刊)他のものを
  利用させていただいております。
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