天守閣櫓、門郭、石垣、土塁、堀のあるお城の紹介
(kみむの行ったお城のみ)
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200〜101番まで
      現 存 天 守 閣
現存する天守閣は、北から順に以下の12天守のみです。
 弘前城(青森県)、丸岡城(福井県)、松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)。
 このうち、姫路城、彦根城、松本城、犬山城の4城が国宝に指定。 
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最新〜301番まで

項番
(訪問順)
城名
(別称)
所在地
天守の種別、
その他の遺構
創築年(西暦)
由来、エピソードなど 訪れた日
(最新順)
丸岡城
 (霞ヶ城)
  越前(福井)
 (戦前は国宝)
現存、不明門の一部・石垣
 (1576)
丸岡城へ 天正4年(1576年)に、柴田勝豊が築城した平山城で、外観は二層、内部は三階の望楼型天守閣は、日本最古を誇っています。
日本一古い現存の天守閣としての風格は最高です。 階段は手すりなしで急峻です。
天守閣は、昭和23年(1948)の福井大震災で一度崩壊しましたが、昭和30年(1955)に修復再建しました。
2007.8.13
2005.4.10
2000.8.11
1999.8.13
1986.8.15
1973.4.3
生れ故郷
300 砥石・米山城跡
 (戸石城、
  伊勢山城)
  信濃(長野)
曲輪、土塁・堀切・虎口・石積
 (不明)
砥石・米山城跡へ 砥石城は、「枡形城」「本城」「砥石城」+「米山(こめやま)城」を含めた複合城郭群です。
城址上り口すぐの東屋には、砥石伊の会発行の「砥石・米山城の里散策マップ」が無料でおいてあるので、それをいただくと周辺情報もあるので便利です。
しかしながら、米山城も砥石城もその上り/下り坂とも、もの凄くキツイです。
下りなどはロープを握って反対向きに下りないと滑って仕方がないです。
大手口から本城へは、幾重もの九十九折の登山道が続き、急峻ではないのでが、下るのも結構かったるく、しんどいかったです。
2008.8.12
34 上田城
 (尼ヶ淵、真田城)
  信濃(長野)
隅櫓三棟(現存)、石垣・土塁・堀
 (1583)
上田城へ 昔、真田一族が関ヶ原へ急ぐ徳川秀忠らをこの城一つで食い止めたのかと思うと、東西の隅櫓や石垣の上からの景色も感慨深いものがあります。本丸や二ノ丸内にはたくさんの侍や兵があふれていたのでしょうか。
空堀を利用した二ノ丸堀遊歩道を彼女としっとりと歩くのもよいかも。
再訪時は、二ノ丸の周りを廻ったのですが、百間堀跡の広さや、尼ヶ淵からの本丸・西櫓、南櫓下の崖は凄いです。
赤土の様ですが、よく崩れないものだとつくづく感心しました。
2008.8.12
1999.8.13
299 真田氏館跡
 (御屋敷)
  信濃(長野)
曲輪、土塁・虎口・厩跡・石積
 (永禄年間)
真田氏館跡へ 真田氏館は、南北に細長い真田の郷(盆地)のほぼ中央にあり周囲に諸城を配置して、守りを固めた館である。
かっては、東西に長い梯形状の館の四周を巡る土塁の周囲に、堀が巡らされていたようで、特に南側の土塁は腰巻土居となっていおり、大手もここに設けられ、丸馬出を逆さにしたように設けられている。
土塁の内部は、二段の曲輪からなり、東から西に緩い傾斜になっていて、東側上段から本丸・二の丸、西側の曲輪は、芝生が植えられ、現在はマレットゴルフ場になっており、その北西隅には「厩」と呼ばれる四角い土塁がある。
2008.8.11
298 松尾古城跡
 (松尾城)
  信濃(長野)
曲輪、石積・堀切
 (不明)
松尾古城跡へ 松尾古城は、真田盆地の最奥部にあたり、真田郷全体が見渡せ、最後の詰の城という性格もあったようです。
「日向畑遺跡」すぐ横にある城登山口の案内標識に従って、尾根道を上り始める五郭から一郭まで板状の石を積み上げた石塁があちこちに現れます。
石垣は野面積と思っている者には、五郭・本郭の石塁はまた違った感じで凄いです。
それにしても、尾根道を五郭へ20分、さらに本郭へ10分間の直登はキツイかったです。息も絶え絶えとはこのことでしょう。
さらに帰りは、下り道が所々分かりにくく、迷うことしきりです。出来たら一人では行かないほうがよいですね。
2008.8.11
297 真田氏本城跡
 (真田山城、
  松尾新城)
  信濃(長野)
曲輪、土塁
 (鎌倉時代or天文年間)
真田氏本城跡へ 本城跡へは熊久保集落に向って上がっていくと、案内標識があり、城跡入口の駐車スペースまで車で行けます。
私は、遠慮して、その集落入口の諏訪神社下から自分の足で登っていって、主郭跡で地元の叔父さんに「そんな人を見たのは貴方が二人目だ」とバカにされてしまいました。
駐車場からすぐ上に主郭背後の大土塁が現れます。
主郭から二郭、三郭との境は、わずかの削崖で区切られている程度で、堀切等はありません。
2008.8.11
296 内山城跡
  信濃(長野)
曲輪、石積・堀切
 永正年間(1504〜21)
内山城跡へ 城跡へは、麓の円城寺の右手付近に登山口がありますが、そこからは距離は短いながらも結構急峻な道を20分ほど登ると、三ノ丸・二ノ丸にたどり着き、主郭へはそこからすぐです。
登りだすと巨岩が所々に出現し、主郭周辺になると綺麗に整った石塁が多く見られます。
登山口案内標識までの侵入路が分かりにくく注意です。決して無断で円城寺の正面にある内山城跡説明板があるからといって、その横の??庵の玄関先を無断で横切ってはいけませんよ。
2008.8.11
295 平賀城跡
  信濃(長野)
曲輪、石積・堀切
 (平安末期)
平賀城跡へ 城跡への登り道がよくわからず、正安寺の後の山道を登り、結局平賀城跡の周りを無駄に1時間ほどぐるーと回ってしまい、地元のおじさんが団地と呼んでいる分譲住宅地アベニュー佐久平の一番最高部に向って上っていくとロッジ風の家の横の道の左に登山道の標識がありました。
城跡には、石塁で固められた腰曲輪があちこちにあり、主郭から三郭はかなりの広さです。
また、主郭の背後は絶壁で、その中を人一人が通れる道が、わりと広めの搦め手曲輪へと通じています。
2008.8.11
294 伴野氏館跡
 (伴野、野沢城)
  信濃(長野)
曲輪、土塁・堀跡
 (鎌倉時代)
伴野氏館跡へ 館跡としては、方形の主郭の北半分の土塁とその堀が全周残っています。
大伴神社後の秋葉社跡の高台は櫓跡でしょうか。
館跡地は、城山公園として整備されて、南側の土橋が復元されています。
2008.8.11
293 龍岡城跡
 (田野口陣屋、
  龍岡五稜郭)
  信濃(長野)
星型稜堡、土塁・水堀
 (1864)
龍岡城跡へ 龍岡城は、函館五稜郭とともに、日本に二つある星型の西洋式城郭の一つである。
函館五稜郭に比べるとかなり小ぶりで内郭の直径は最大部187mで、約1/3程度である。
城跡には、星型に石垣と土塁が残り、その中に移築された御殿の一部である御台所(現存)と北辺に砲台跡の石垣、水堀の一部が遺構として残っています。
2008.8.11
292 大庭城跡
  相模(神奈川)
曲輪、土塁・空堀・虎口
 (平安末期)
大庭城跡へ 現在城址公園となっている大庭城址は、周りからも一段と高いところにありますが、周りに城跡と思われるような小高い丘陵地があちこちにあり、最初はどれが大庭城址なのか分からないくらいでした。しかも城址公園への東入口も一般民家への階段と間違えて、通り過ぎてしまい、ぐるっとまわったため、かなりの時間のロスでした。 2008.6.14
291 深見城跡
 (一の関城山)
  相模(神奈川)
空堀、土塁・虎口
 (室町時代)
深見城跡へ 主郭の周りが杭やフェンスで囲まれていますが、何とか入っていくと、城山史跡公園の立て札が数箇所にありますが、中は草木で荒れ放題です。でも、城廻ファンの造った?けもの道をいくと、なんとか虎口や空堀に案内してもらいました。 2008.6.14
290 沢山城跡
 (三輪城)
  武蔵(東京)
曲輪、空堀・堀切
 (不明)
沢山城跡へ 熊野神社斜め向いの「深谷戸自然公園」西口の左脇にある登城口から登るとすぐに腰曲輪や堀切があり、更に進むと二郭、広い三郭と続きます。更に本郭やその腰曲輪、出丸などかなり残っています。しかし、その大部分が荻野家一族の私有地のために、団体での立ち入り禁止や取材お断りの看板があちこちにありますが、主郭(七面堂)一画の見学(お参り)は黙認されていますので、丁寧に見て廻りましょう。 2008.6.14
289 守山城跡
  陸奥・磐城(福島)
曲輪、石垣・堀
 (鎌倉時代)
守山城跡へ 守山城は、谷田川の河岸段丘を利用して築かれた城で、東・南・北の三方を川の浸食によって削られた崖からなっています。
現在、本丸には城山八幡神社、一段下がった二の丸の空き地があり、更に三の丸には守山小学校の敷地となっています。
二の丸と三の丸の間の長さ70m、高さ6mに及ぶ石垣を持つ幅25mの空掘はすばらしいです。
2008.5.1
288 木村館跡
  陸奥・磐城(福島)
曲輪、土塁・堀切・模擬櫓
 (不明)
木村館跡へ 木村館は、常磐道が真下に通る小高い丘陵に、古館山に築かれた城です。
現在は山頂部の本丸に木村神社があり、その北側に古館山公園として整備された物見櫓風の展望台が建てられています。
木村神社へは、磐越道側に二ヶ所の登り口があり、反対側に公園まで車で登れ、駐車場が10台分あります。
2008.5.1
287 三春城跡
 (舞鶴城)
  陸奥・磐城(福島)
曲輪、土塁・石垣・移築門
 (1504)
三春城跡へ 三春町のほぼ中心にある大志多山にあり、城山公園と呼ばれ、遊歩道や、案内板、標識などが整備されたところが三春城です。
二の門跡を基点に三の丸跡や本丸跡への遊歩道があり、散策、憩いの場となっています。
2008.5.1
286 船引城跡
  陸奥・磐城(福島)
曲輪
 (不明)
船引城跡へ 船引城は、現在館山公園として整備され、遺構としては最高所の主郭を置き、東西の尾根筋に二の曲輪、三の曲輪が配置された縄張りになっています。
船引市街から見上げると、あれー、主郭に天守が見えます・・・。ありゃー張りぼての天守か・・・?
そんな主郭へも裏の般若寺の墓地から登るとすぐです。楽したい方はそちらから登城してください。
2008.5.1
285 常盤城跡
 (旭城)
  陸奥・磐城(福島)
曲輪、堀切・土塁・模擬天守
 (不明)
常盤城跡へ 常盤城は、常盤市街を見下ろす館山に築かれた城で、城域一帯は、舘公園として整備され、二層の模擬天守が建てられています。
城の縄張りは、本丸を中心に三方に延びる尾根筋に北に出丸、東に二の丸、西に三の丸が配置され、各曲輪には腰曲輪等の曲輪が設けられていて、見どころがいっぱいです。
2008.5.1
284 百目木城跡
 (どうめき)
  陸奥・岩代(福島)
曲輪、土塁・空堀・堀切
 (天文年間:1532〜54)
百目木城跡へ 百目木城は、四方に山を望む丘陵に、二の丸・本丸・三の丸・出丸・東出丸がU字状に並んでいますが、いずれの曲輪もる畑や果樹園になっています。
城へは、保育所の横から入って、保育所背後の坂を上がって谷筋の大手道を三の丸を経由して、本丸に向うことができます。
2008.5.1
283 四本松城跡
 (しおのまつ)
  陸奥・岩代(福島)
曲輪、堀切・土塁
 (1065)
四本松城跡へ 入口に城跡の説明板があり、そこから竹林の山道を登っていくと、丘陵頂上部が公園化されており、本丸・堀切・帯曲輪等の遺構が見られます。 2008.5.1
282 河股城跡
(舘ノ山、御影舘、牛ヶ城)
  陸奥・岩代(福島)
枡形虎口、空堀・土塁
 (1500年頃)
河股城跡へ 河股城跡は、本郭と二郭の内城部と、三郭や南・北・西方外縁の外城で三重に守りを固める広大で堅固な山城です。
本郭は整備されたあと、杉が植林されて、藪状態に近いですが、下の段の二郭は、両端に桜も植林され、整備維持されており、もし登ってくる人がいればですが、憩いの場所になっています。
2008.5.1
281 大森城跡
 (臥牛、白鳥城)
  陸奥・岩代(福島)
曲輪、空堀・模擬櫓
 (天文年間:1532〜54)
大森城跡へ 標高143mの頂上にある本丸跡は東西70m、南北に100mほどの広さがあり、ここからは東、北、西の方角がよく望遠できます。
大森城の縄張りは、本丸の北に二の丸を配置し、その先端部に擬似櫓が設けられています。
2008.5.1
280 福島城跡
 (杉目、大仏城)
  陸奥・岩代(福島)
土塁。庭園
 (不明)
福島城跡へ 福島城の本丸は現在の知事公館付近、政務をとる二の丸は県庁舎付近にあり、城の南東を阿武隈川が流れ、その流水が内堀を巡っていたそうです。
藩主が住む殿中から眺めた庭が現在の紅葉山公園です。
庁舎の南側には当時の土塁が残っているそうですが、確認できませんでした。
2008.5.1
47 二本松城
 (霞ヶ城)
  陸奥・岩代(福島)
城門、石塁
 (1413)
二本松城へ 山上に修復された真新しい天守台や本丸の石垣等があり、見晴らしも最高でした。近いうちに天守閣の復元の話もあるそうです。
山麓の箕輪門から山上の本丸までの道には一気にあがるコースやゆっくりコースなどいろいろあります。(あまり整備されているとはいいがたいですが・・・)
反対側の見晴らし台から搦め手門跡経由や、車で本丸下の乙森跡まで上がってから本丸頂上を目指すのは楽すぎますか。
2008.4.30
2000.4.30
279 猪苗代城址
 (亀ヶ城)
  陸奥・岩代(福島)
枡形の石垣、曲輪・土塁・空堀
 (1191)
猪苗代城址へ 本丸を最高位に、二の丸、帯曲輪が空堀と土塁で区分けされ、その空堀はかなり深く、土塁が高いのに圧倒されます。
城跡は”亀ヶ城址公園”として整備され、町民の憩いの場となっています。
2008.4.30
17 会津若松城
 (鶴ヶ城)
  陸奥・岩代(福島)
復興、石垣・門
 (1384)
会津若松城へ 江戸城、大坂城、名古屋城に次ぐ広さの城域を持つ会津若松城ですから、復元された本丸天守や南走り長屋や干飯櫓だけでなく、北・西出丸、二ノ丸の石垣、土塁を見て回るだけでも大変です。
また、ちょっと離れていますが、移築された阿弥陀寺の御三階櫓は唯一の現存遺構ですから、必ず見にいってください。
お城見物の後は、歩いて会津若松市内の会津酒蔵歴史館や近くの土産物屋を覗くのも良いものです。
市内巡りにはフリー乗車券が便利です。
また、会津武家屋敷や滝沢本陣などを見学するなら”会津を代表する観光33施設の割引券&プレゼント券”のパンフをゲットすると全てが約1割引きでお得です。
2008.4.30
1985.5.2
278 向羽黒山城跡
  陸奥・岩代(福島)
曲輪、土塁・空堀・虎口
 (1561)
向羽黒山城跡へ 会津盆地南部の阿賀野川が裾野を洗う向羽黒山にあり、葦名氏の詰の城として築かれ、標高408.8mの山頂からは、会津を一望におさめることができます。
その重要性は、その後会津を支配した蒲生、上杉氏も改修を加え、城は山頂から北側の山腹にかけておびただしい数の曲輪を配置し、要所に空堀や虎口を築いている。
2008.4.29
277 神指城跡
 (こうざし)
  陸奥・岩代(福島)
本丸・二の丸の土塁の一部と堀
 (1600)
神指城跡へ 越後から会津に転封となった上杉景勝が、徳川家康を討つため、12万人の人夫を動員し築城に着手した平城でしたが、関ヶ原の戦いが家康の勝利に終わったため、工事を途中で中止し、廃城となった城です。
本丸の土塁と築城前からあったといわれる高瀬の大木が確認できましたが、他はあまり分かりませんでした。
2008.4.29
276 久川城跡
 (伊南城)
  陸奥・岩代(福島)
郭、空堀・土塁・枡形虎口
 (1589)
久川城跡へ 久川城は東に伊南川、西に滝倉川の渓流、北はこれと合流する久川が麓を流れ、四方を急崖に囲まれた丘陵上にあり、天然の要害です。
台地上の城域へは、南の大手口から小塩七曲登城坂と、北東の搦め手口からの青柳七曲登城坂からそれぞれ大きな空堀を超えて、本丸へ行く構造になっています。
いずれの登り口の前には無料の駐車場があり、特に南の駐車場はトイレもあり、便利です。
2008.4.29
275 鴫山城跡
 (南山、田島城)
  陸奥・岩代(福島)
郭、石塁・土塁・空堀
 (南北朝時代)
鴫山城跡へ 愛宕山の頂上から来た斜面と麓のかけて構築された根小屋式の山城で、現在も良好に保存されています。
大手口から侍屋敷跡をとおり、良く整備された大門跡と空掘は見どころです。
2008.4.29
274 白川城跡
 (搦目城)
  陸奥・磐城(福島)
曲輪、土塁・堀切
 (不明)
白川城跡へ 公園として整備された主郭を中心に、主郭の東側に堀切、西側には土塁などの城の遺構が残っています。
丘陵の5つの峰を利用して曲輪群を配置しているらしいのですが、主郭以外は雑木林とブッシュに覆われており、確認できませんでした。
2008.4.29
46 白河(小峰)城
 (霞ヶ城)
  陸奥・磐城(福島)
三重櫓(復元)、石垣・堀
 (1632)
小峰城へ 阿武隈川北岸にあってJRの新幹線や在来線からも見える眺望の良い城です。
入城無料でしたが、三重櫓には早朝だったため、残念ながら入れませんでした。(入城は10時から17時まで)
小峰城の入口の案内板には、2、3階への人数制限あり。一度に5名ずつはめずらしいですね。
本丸跡は家族連れのピクニックでお弁当を広げるのもよいかも。
2008.4.29
2000.4.30
273 世田谷城址
  武蔵(東京)
曲輪、土塁・空堀
 (南北朝時代)
世田谷城址へ 都内世田谷の一等住宅街を走る東急世田谷線の上町駅か宮の坂駅から「城山通り」を徒歩で5〜6分で豪徳寺の横に位置する世田谷城址公園があります。 非常に整備されており、一見石垣で囲まれたような曲輪跡、櫓台跡や空堀があります。
豪徳寺との間の都営住宅の裏には、立派な土塁と空堀がしっかりと残っていましたが、宅地内であり、かつ土塁の上には人もいて、立ち入ることができず、残念ながら、撮影も出来ませんでした。
2007.10.21
272 万木城址
 (万喜城)
  上総(千葉)
曲輪、土塁・井戸
 (応永年間:1394〜1428)
万木城址へ 山頂の櫓台には模擬天守風の展望台があり、広大な曲輪や道路沿いには階段状に土塁があります。
花見時期のためか、あっちこっちに広い駐車場があり、特に山頂の駐車場への道の途中にある交互通行用の信号機は本当に機能しているのでしょうか?
2007.10.6
271 上総小浜城跡
  上総(千葉)
曲輪、土塁・堀切
 (1493)
小浜城跡へ 大原漁港に車を止めて、すぐ南にある八幡神社へと向かいました。
神社の建つ主郭部の手前にはコンクリートで固められた大堀切?のような土塁もあります。
神社の裏には切通と物見台らしき場所もあります。
2007.10.6
270 滝田城跡
  安房(千葉)
曲輪、堀切・虎口
 (1534)
滝田城跡へ 二通りの登城コースがありますが、案内看板、駐車場も完備の下滝田コースから尾根歩きをしながら登城しました。
周りが非常に急斜面の本曲輪以外に、二の曲輪や沢山の腰曲輪で大満足でした。
上滝田コースも馬場、土塁などが良く見れるそうですが、登山道がちょっと判りにくいようです。
2007.10.6
269 赤塚城跡
  武蔵(東京)
郭、空堀・外堀跡
 (1456)
赤塚城跡へ かっては、荒川の河岸段丘上に築かれ、段丘の下は荒川の氾濫した湿地帯で城が堅固に守られていたそうですが、現在は、河岸工事で荒川の姿は見えず、麓は高島平の宅地化で、ほとんどの遺構はなくなっています。
しかし、赤塚公園前の河岸段丘の地形はほぼそのままで、主郭北西側には土塁・堀切・空堀跡があるようですが、当日は整備中で入れませんでした。
2007.9.8
268 志村城跡
  武蔵(東京)
土塁、空堀
 (1456)
志村城跡へ 赤塚城の支城として築かれたそうですが、現在は、本丸は小学校やマンションなど宅地化されてしまい、小高い台地の際の二ノ丸跡の熊野神社に敷地内に空堀がしっかりと残るのみです。 2007.9.8
267 稲付城跡
  武蔵(東京)
空堀
 (室町時代)
稲付城跡へ JR赤羽駅西口から歩いて10分もかからない道路に面して丘陵があり、コンクリートの階段が真っすぐ上に伸びています。その階段を登りきると棟門があり、本丸跡に静勝寺があります。
昔はこの地からは、四方が良く見渡せたのではないかと思えますが、今は、住宅地やビル群が所狭しと混在しています。
城内の静勝寺に道灌の木像が安置されています。
2007.9.8
266 渋谷城跡
  武蔵(東京)
空堀
 (平安時代末期)
渋谷城跡へ 東京の大繁華街のJR渋谷駅から徒歩10分ぐらいで、高台に鬱蒼たる緑の樹木に覆われた渋谷城跡といわれる金王八幡神社があります。
堀跡も道路になるなど、遺構はほとんど残っていません。
2007.9.8
265 奥沢城跡
  武蔵(東京)
土塁
 (天文〜永禄年間頃)
奥沢城跡へ 九品仏の駅前の交差点を渡り、浄真寺の参道を進むと寺の山門があり、その左側にかわいらしく、うっかりすると見逃してしまいそうな城跡碑があります。
浄真寺の境内には本堂や三仏堂などがあり、かなり広いのですが、城郭というより城館跡のようです。
それでも、駅側の寺塀沿いや墓地境に土塁が残っています。
白鷺を思わせる可憐な花・鷺草が咲いていることで有名ですが、運良く見ることができました。
2007.9.8
29 犬山城
 (白帝城)
  尾張(愛知)
現存、門(復興)
 (1537)
犬山城へ 犬山城までは、名鉄犬山駅から城下町を散策しながら徒歩約25分。あるいは、名鉄犬山遊園駅から木曽川沿いの散策コース沿いに徒歩20分。または、橋を渡って、木曽川対岸をぐるっとまわり、農業用水取水のための堰堤橋を廻る40分コースもお勧めです。
全国唯一の個人:成瀬家の所有(但し維持、管理、運用は犬山市)で、最古の現存天守を誇る城(国宝)です。最上部の展望台からみる眼下の木曽川の流れとはまた別の味わいです。
2007.8.16
2005.9.3
1998.8.14
264 東城砦
  越後(新潟)
復元土塁や堀、道
 (南北朝時代)
東城砦へ 「春日山城史跡広場」は発掘調査によって確認できた土塁や堀、道などを復元し、中世の春日山城を体感できるよう整備しています。
しかしながら、春日山城の東に広がる平坦地に、監物堀・土塁と呼ばれる総延長1.2kmに及ぶ総構えが造ったのは凄いです。
2007.8.13
263 春日山城址
 (蜂ヶ峰城)
  越後(新潟)
曲輪、堀切・土塁・空堀・井戸
 (南北朝時代)
春日山城址へ 本丸や天守台跡の曲輪も広いですが、そのすぐ近くの景勝屋敷跡もかなり広いです。
千貫門跡と2つの空堀跡が実戦で使われたらさぞや凄かったでしょうね。
春日山巡りコースには三の丸からの三郎景虎屋敷コースと千貫門コースがポピュラーですが、麓からの大手道コース(大手道→南三の丸→柿崎和泉守屋敷跡→御成街道→二の丸→本丸)も良いのではないでしょうか。
2007.8.13
262 福島城跡
  越後(新潟)
石垣跡と城跡碑のみ
 (1607)
福島城跡へ 越後初の近世城郭だったのですが、現在では古城小学校と港湾関連施設に占拠されていて、その遺構は皆無に等しいです。 2007.8.13
261 松代城
 (海津城)
  信濃(長野)
曲輪、水堀・土塁・石垣・復元門
 (1560)
松代城跡へ 武田信玄と上杉謙信の「川中島の合戦」ゆかりの海津城ですが、本丸は100m四方ほどの方形で、石垣と水堀に囲まれています。
復元・修復された本丸、二ノ丸とその外郭の堀の一部や二ノ丸南門、太鼓門など見どころが多いです。
2007.8.12
260 白井城址
  上野(群馬)
曲輪、土塁・堀・石垣
 (永享年間:1429〜41)
白井城址へ 渋川市街から国道17号を北上し、利根川と吾妻川の合流点の橋に差し掛かり、橋の勾配を登りきってすぐ左側、宿場町の雰囲気を残す白井のはずれの崖の上に城はあります。
城域の殆どは農地になっていますが、それでも本丸周辺の土塁や堀、虎口の石垣などは明瞭に残っています。
白井街の散策も楽しめます。
2007.8.12
259 箕輪城跡
  上野(群馬)
曲輪、馬出・堀
 (室町時代末期)
箕輪城跡へ 城内部の御前曲輪・本丸・二の丸・三の丸などの周囲の最大幅30m、深さ20m以上の空堀は圧巻です。すべて、人手で丘陵を掘り下げたのでしょうか。
特に二の丸の南の大堀切は、城を南北に二分し、ただ一つの土橋でつながれていました。
毎年10月末に行われる箕輪城まつりでは、広い本丸で、攻め寄せる武田軍を、対する西上州武士団が迎え撃ちます。青い旗が西上州武士団で赤い旗が武田軍。戦闘が始まるやいなや、土煙が舞い、赤と青の旗が入り乱れ、城内は大混戦だそうです。
2007.8.12
258 松井田城跡
  上野(群馬)
曲輪、堀切
 (1587)
>松井田城跡へ まさに山全体が要塞化しているといった印象で、見る所見る所堀切と郭だらけです。
案内板のある道路から途中まで車で登れ、駐車場の下の畑も多分郭跡でしょう。
2007.8.11
257 菅谷館跡
  武蔵(埼玉)
曲輪、土塁・空堀
 (平安時代末期)
菅谷館跡へ 「館跡」というと周囲を方形土塁と水堀で囲まれた居館跡を思い浮かべてしまうでしょうが、ここは戦国期の「平城」そのものです。
水堀や空堀・土塁で囲まれたいくつもの郭があり、特に奥の郭を見通せないように盛った蔀土塁など見どころがたくさんあります。
2007.8.11
256 青鳥城跡
  武蔵(埼玉)
曲輪、土塁・空堀
 (平安時代末期)
青島城跡へ 青鳥城は、国道254号線に南側を、関越自動車道に東側を削られ、本郭を残しほとんどが宅地、畑化しています。
本郭とその周辺の空堀は良く残っています。
また、3郭の北東部分には「おため池」として水堀の一部が残っています。
2007.8.11
255 今井城跡
  武蔵(東京)
土塁、空堀
 (室町時代末期)
今井城跡へ 現地の解説板などは、新興住宅に囲まれている側で、道路地図だけでは場所が判りにくいことこの上ありません。
山奥の武蔵野台病院まで誤って上がって、あきらめて、戻り道の右側にあれこれ城跡かなと思ったら、曲輪跡でした。
2007.8.11
254 滝山城跡
  武蔵(東京)
曲輪、空堀・土塁
 (1521)
滝山城跡へ 本丸や二の丸、三の丸、家臣屋敷跡など、いずれも広く、深い空堀で囲まれています。一つの山並みを人手で深く切り刻んで、構築した多摩川側は断崖の山城です。
滝山街道の城跡下のバス停そばから登ると、三の丸や千畳敷などがあり、本当に広い曲輪があり、いずこも桜が植えられ、春は花見で人もすごいでしょうね。
中の丸には以前は「滝山荘」という国民宿舎までありましたが、現在は廃止されています。
2007.8.11
253 石神井城址
  武蔵(東京)
曲輪、土塁・空堀
 (鎌倉時代後期)
石神井城址へ 石神井城は、都心に程近い閑静な住宅街の中にある石神井公園の中の三宝寺池に面して小高い台地の上にあります。ただ、本丸周囲の空堀と土塁は保護のためフェンス越しにしか見られません。 2007.7.28
252 深大寺城跡
  武蔵(東京)
曲輪、堀・土塁
 (1536)
深大寺城跡へ 神代植物公園の湿園の横の台地上に深大寺城跡があり、一郭虎口付近の土塁と土橋、埋められていたものを復元した堀など、かなりの遺構が整備され、残っています。
深大寺そのものも広く、桃山時代の建築と言われる深大寺山門も立派です。
2007.7.28
251 造海(つくろうみ)城址
 (百首城)
  上総(千葉)
曲輪、空堀・土塁・石塁・井戸
 (1461)
造海城跡へ 燈籠坂大師の社殿裏の大手口から、「城山」と呼ばれる城址へ登って行きましたが、一番高所に上ったように思いますが、結論として何処まで回ったのかは判っていません。
遺構はいたるところにあるのですが、未整備状態であり、場所によっては笹薮の酷さや崩落などで歩行困難な場所、崖などの危険な場所も多く、単独行動は避けるべきでしょう。
事前の調査が不十分な私は、その日単独行動で、夕暮れの山城登城で、結果は、下り時にメガネが持った木の枝に吹き飛ばされ、手探りで探しましたが見つからず、後はもう最悪でした。
日没で道に迷うやら、尾根から崖や水堀に滑り落ちるやら・・・。
特に左肘は骨折するなど、もう遭難状態で、絶望的でした。
それでも、気をしっかり持ち、デジカメをライト代わりに、苦闘2時間、身も心も傷だらけでしたが、奇跡的に何とか大手口に戻ることが出来ました。
2007.4.29
250 佐貫城址
 (亀城)
  上総(千葉)
土塁、空堀・堀切・石積
 (応永年間?:1394〜1428)
佐貫城址へ 佐貫城の大手口にそそり立つ大手櫓門跡の石積とその土塁は大きく、立派で、千葉県内では唯一の石垣による虎口遺構だそうです。
本丸と二の丸を結ぶ土橋とその周りの大規模な堀はかなりの深さです。
搦め手側にも、石積や切り通し、主郭東物見附近の垂直削崖などの遺構があり、見ごたえがあります。
2007.4.29
249 小久保陣屋跡
  上総(千葉)
石碑
 (1868)
小久保陣屋跡へ 田沼意尊が弁天山古墳脇に築いた陣屋だそうですが、陣屋としての遺構は全くなく、古墳の前に「小久保藩陣屋跡」の石碑があるのみです。 2007.4.29
248 飯野陣屋跡
  上総(千葉)
周堀、土塁・郭
 (1648)
飯野陣屋跡へ 日本三大陣屋の一つの規模を誇る陣屋跡で、主郭周囲を囲む方形の土塁と水堀や、三郭外側の東西200mに渡って一直線に延びる土塁と水堀はすごいです。
それにしても、広い陣屋跡です。城郭といってもよいくらいです。
2007.4.29
247 常代(とこしろ)城跡
  上総(千葉)
本丸址、空堀・井戸 常代城跡へ 常代城は、常代神社の背後にあり、深さ10mほどの空堀状になっており、その奥が比高10mほどの切り落としたような台地になっている。
城址のあたりには、タケノコを無断で取る人を入れないよう、地主が設けたものだろうか柵があって内部には入れない。
遺構としては、神社の周りの土塁跡や隣の華厳院や墓地が郭跡かな・・・。
2007.4.29
246 秋元城址
 (小糸城)
  上総(千葉)
曲輪、堀切・土塁・虎口・井戸
 (1508)
秋元城址へ 城址の入り口には標柱があり、登り口から主要部まで、下草も刈られ、良く整備されています。
城内主要部である一郭〜三郭と千畳敷(四郭)は「西向三段」と呼ばれる階郭式の3段削平になっています。
主郭の山腹斜面側には垂直に切り立つ土塁がありますが、削平時に削り残したもののようです。
土塁の向こう側のほぼ垂直な崖である堀内障壁はすごいです。テカテカするほど磨き上げられた削崖で、5mから10mぐらいの高さもあり、とても人には登れないでしょう。
2007.4.29
245 大戸城跡
 (登城)
  上総(千葉)
曲輪、空堀・物見台堀切 大戸城跡へ 大戸城は、三方を小櫃川の急流が裾を洗う半島状台地となっていて、久留里街道を監視する絶好の場所にありますが、その登り口は、チョッと判りにくいです。
何度も目の前を行き来しましたが、僅かな空き地と畑のある処の小高い山が大戸城でした。
登り口付近の切通しのような道があり、ちょっと登ると腰曲輪があり、そこから急な登り道(崖と言っても良いか)を登ると祠のある主郭があります。
2007.4.29
244 千本城址
  上総(千葉)
曲輪、堀切・土塁・削崖
 (天正年間)
千本城址へ JR上総松丘駅に近い久留里街道(国道410号線)のガソリンスタンド反対側のT字路の角に千本城址入口を示す石柱が立っており、その石碑のある場所を直進します。
切り通しを過ぎると、二手に別れ、左手に進むと男坂、右手に進むと女坂を過ぎて主郭にたどり着きます。
主郭には、北野神社がありますが、土塁跡らしいものがあるのみです。
遺構の多い女坂は、巨大掘切や崖の多い女坂は危険ですので、くれぐれもご用心。
2007.4.29
243 真里谷城跡
 (まりがや城)
  上総(千葉)
郭、枡形・土塁・堀切・空堀
 (1456)
真里谷城跡へ 「私有地につき立ち入り禁止」と「タケノコ堀り禁止」の看板のある少年自然の家への道を歩いて進むと、途中には四ノ郭、三ノ郭跡の土手や堀切があり、主郭に入ると物見台や虎口跡があり、腰郭跡もよく整備されています。
主郭と二ノ郭の間の大堀切はどちらかというと自然の崖にはさまれた谷のようでした。
2007.4.29
242 浜居場城跡
  相模(神奈川)
郭、空堀・土橋
 (天正年間)
浜居場城跡へ 足柄城の支城で、駿河・甲斐からの古道を監視・守る砦です。
でも、こんな山の上で、日々いつ来るか判らぬ敵を監視するのも大変だったでしょうね。
2007.4.21
241 相模眞田城跡
 (佐奈田城)
  相模(神奈川)
空堀、土塁
 (平安末期)
眞田城跡へ 寺地などへ転用されて、遺構などほとんどなく、わずかに発掘された空堀跡と、北側の2mの高さを誇る土塁跡ぐらいです。
でも眞田明神のある位置は最高部にあり、見晴らしが結構良かったです。
2007.2.12
240 相模岡崎城址
  相模(神奈川)
郭、土塁・空堀
 (平安末期)
岡崎城址へ 本丸跡に建つ無量寺境内の城址碑だけだと思いきや、墓地の裏手に二つの郭をはじめ、周辺の空堀など、遺構はよく残されていてます。空掘や大山を見ながら城址より西に500mのところに岡崎四郎義実の墓(岡崎城創築)もよく整備されてはいます。 2006.12.30
72 小諸城
 (白鶴、酔月城)
  信濃(長野)
大手門、石垣・空堀
 (1590)
小諸城へ 軽井沢から「しなの鉄道」で小諸への途中、白く雪をかぶった浅間山がきれいでした。
小諸城跡は懐古園としてよく整備されており、入り口にあたる三の門をくぐると石垣や空堀が往時の千曲川の断崖上に位置した要害の城をしのばせます。
しかし、園内の島崎藤村記念館などに興味がない人には、懐古園入園料:500円はチョット高いので、窓口で散策券を購入してください。300円ですみますよ。
駅と反対にある大手門も訪れ忘れないようにね。ただし、平成20年3月まで解体修復工事中で、外観含め見れませんのでご注意!
2006.8.30
2001.4.29
239 敦賀城跡
  越前(福井)
移築門、城祉石碑
 (1583)
敦賀城跡へ 遺構としては、移築された裏門と2ヶ所の城祉石碑だけですが、大谷吉継の旗がなんとなく嬉しい気もします。 2006.8.13
238 若狭小浜城祉
 (雲浜城)
  若狭(福井)
天守台、曲輪・石垣・移築門
 (1601)
小浜城祉へ かっては、川の中州に築かれ、さらに本丸周囲も水堀に囲まれていたそうですが、いまは田圃と宅地に変わっています。しかし、本丸の石垣は、周囲をほぼ完全に残しており、さらに天守台もなかなか見応えのあるものでした。
高校の正門に城門が移築されて現存しています。
2006.8.13
237 宇陀松山城跡
 (秋山、神楽岡城)
  大和(奈良)
曲輪、現存門・石垣・堀
 (1600)
宇陀松山城跡へ チョット見逃しやすいのですが、春日神社の手水舎と反対の右脇の所に秋山城跡への登山口の案内があります。
山上は、草刈を行っていて、枯れ草が石垣を覆っている状態でしたが、立派な石垣や遺跡が残っていて、特に最高部に天守台がキチンと残っており、そこからの見晴らしは結構よかったです。
また、大宇陀町の町並みは、川沿いにゆっくり歩いてみても風情があり、とっても良い感じでした。
2006.8.12
236 田丸城祉
 (玉丸城)
  伊勢(三重)
天守台、本丸・二の丸・北の丸・大手門石垣・移築門
 (1600)
田丸城祉へ かっては四周を水掘で囲むでしたが、今でも大手口前と二の丸南東下に満々と水を張って、立派に残っています。
また、本丸と天守台は広く立派で、かって三重天守があったそうですが、見晴らしもよかったでしょう。
2006.8.12
235 松坂城跡
  伊勢(三重)
天守台、石垣・曲輪・移築門
 (1588)
松坂城跡へ 松坂城の高石垣群は本当に見事でした。あちこちに「石垣の端に立たないように」との注意書がありましたが、しっかりと端に立って下を覗き込みました。
また城の裏大手には紀州より御城番の為に移住してきた藩士の為の長屋屋敷が現存し、今でも人が住んでいる部屋もあり、うち1軒は内部見学が可能でした。
2006.8.12
234 伊勢亀山城
 (粉ちょう城)
  伊勢(三重)
本丸多聞櫓、本丸高石垣
 (1590)
伊勢亀山城へ 城全体は土塁を基本として構築されて、主要な門や櫓、今でも残る本丸の多聞櫓等の部分に石垣が用いられていたそうです。今は埋められてグランドなってしまっていますが、水堀越しの本丸高石垣と多聞櫓はさぞ威圧的であったと思います。
しかし、丹波亀山城と間違えて伊勢亀山城の石垣修復のため天守を取り除き、その後間違いと指摘され、そのままの状態で放っぽられた椿事の真相はいずこに・・・。幕府の影が・・・。
2006.8.11
233 神戸城跡
  伊勢(三重)
天守台、石垣・堀・移築櫓/門
 (弘治年間:1555〜58)
神戸城跡へ 現在本の丸部分が神戸公園となっており、内部には、野面積みの天守台が残っていて、丸みを帯びた川石が使用されているのが特徴的で、また本の丸を囲んでいた堀の一部が今でも残っています。
準備不足で、神戸城から移築したという蓮華寺の太鼓櫓、四日市市顕正寺の大手門を見れず残念です。
2006.8.11
232 桑名城跡
 (扇城)
  伊勢(三重)
天守台、堀・石垣
 (1591)
桑名城跡へ 揖斐川の水を利用し、今でも、本丸・二の丸がいずれも堀幅が20mを超える水掘で囲まれています。
ただ、堀際の石垣は、四日市港整備のための石材として払い下げられて、現在ほとんど残っていないのが残念です。
2006.8.11
231 安祥城祉
 (安城、森城)
  三河(愛知)
櫓台、切岸・土塁
 (1440)
安祥城祉へ 安城城は、安祥城祉公園として立派なくらいに整備され、看板やちょっとした図もあり、何処もそうですが、本丸跡に大乗寺、二の丸跡に八幡社、三の丸跡に歴史博物館とも公民館があります。
また、近くの本証寺はまさに城郭で、内堀(水堀)が廻っており、さらに北側の外堀もしっかり残っていて、立派な鼓楼を見るとますます感心します。あー!水池に白鳥が2羽・・・。
2006.8.11
230 東条城跡
  三河(愛知)
模擬櫓・門、土塁・虎口・空堀
 (貞応年間:1223頃)
東条城跡へ 平成元年のふるさと創生1億円でこの城は公園として整備され、本の丸の周囲には土塁が残り、大手虎口に城門がとその脇に井楼形式の物見櫓が復元(模擬?)されて、戦国時代の砦の雰囲気の様子がよく判ります。
櫓の階段にはいずれにも、"きけん!登らないで下さい"との看板がありますので、注意してください。
2006.8.11
36 富山城
 (安住城)
  越中(富山)
模擬天守、石垣・堀
 (1581)
富山城へ 犬山城や松本城を模したコンクリート造りの天守ですが、堀を挟んで見る天守は趣があって良いです。
富山地鉄に乗って丸の内下車してのコースもベター。
駅前の観光案内所で無料レンタサイクルを借りて行くてもあります。
2006.7.1
1999.8.14
229 安田城跡
  越中(富山)
曲輪、土塁・水堀
 (天正年間)
安田城跡へ 国史跡で、土塁や水堀がきれいに整備されています。 土塁は広くて上は平らで、芝生もキチンと刈り込まれ、しかも手すり付きの階段があって登りやすいです。
土塁の断面が見れるようになっていました。
安田城祉へは、駅前の観光案内所で無料レンタサイクルを借りて行くてもあります。
私は無段変速なしママチャリで白鳥城跡経由安田城跡まで行っちゃいました。
2006.7.1
228 白鳥城跡
  越中(富山)
曲輪、土塁・堀切・井戸跡
 (天正12年頃)
白鳥城跡へ 麓の城山公園駐車場から看板に従い、やたらクネクネした道を進んでいくと山頂の城山公園駐車場にたどり着き、そこには立派な石碑がありました。呉羽ハイツ側にももう一箇所無料駐車場があります。
駐車場から石段を登ると、東の出丸があり、ここも結構広いです。
東の出丸〜三の丸〜二の丸〜本の丸へと遊歩道が続き、途中堀切や土塁を確認する事が出来ます。
2006.7.1
227 古国府城跡
  越中(富山)
曲輪、土塁・空堀
 (天正年間)
古国府城跡へ 古国府城は、伏木港を見下ろす高台に築かれた城で、現在も勝興寺となっていて、ほぼ方形の境内の周囲には分厚い土塁が巡らされています。
特に太鼓楼はまるで城の櫓です。
また勝興寺には七不思議があって、特に天から降った石は叩くと金属音がしてとても不思議です。
2006.7.1
226 高岡城跡
  越中(富山)
曲輪、土塁・石塁・堀
 (1609)
高岡城跡へ 高岡城は、本の丸・二の丸・鍛冶丸・明丸・三の丸・小竹藪と本の丸を囲むように曲輪が配置され、その曲輪の周囲を水堀が巡らされていて、建物類はありませんが、すごい遺構です。
本の丸と二の丸を結ぶ土橋の部分には石垣が残り、各曲輪の周囲には上幅約5m近くもあろう土塁が良く残っています。
本丸跡はかなり広く、築城途中で廃城になったようですが、完成してたらすごい城になってたかもしれませんね。
2006.7.1
225 多治比猿掛城跡
  安芸(広島)
曲輪、土塁・堀切
 (明応年間)
多治比猿掛城跡へ 多治比の猿掛城は、毛利元就が青少年期を過ごした城として有名で、石見路の要所に位置していた城です。
猿掛城は、中世国人層の典型的な山城で、山頂部に物見櫓台のある本の丸を中心にを曲輪群を置き、背後の尾根筋には深さ7〜8mもあろう2筋の堀切によって固められています。
谷を挟んだ西側に比高50m程の独立丘陵上に出丸は、3段の曲輪が輪郭式に配置され、しかも綺麗に下草も刈られ、山頂部の曲輪群より出丸の方が見応えがあります。
2006.5.20
224 吉田郡山城跡
  安芸(広島)
曲輪、石垣・土塁・堀切・井戸
 (1336)
吉田郡山城跡へ 城の破却で城の遺構はほとんど壊されていますが、郡山全山に多数(約130)の曲輪が今も残り、この城の規模や構造がかなりのものであったと推定できます。
郡山城西南麓に「県立少年自然の家」が建つところが、元就の居館「御里屋敷」跡で、ここから登れば毛利隆元の墓所、そして更に「百万一心」の碑がある毛利元就、毛利一族の墓所へ、そして郡山山頂へと至ります。
郡山山頂の本の丸(2段に分かれている)・二の丸・三の丸がかなりの広さで、これらの曲輪は石垣造りであったそうです。
2006.5.20
13 広島城
 (鯉、在間城)
  安芸(広島)
復興、石垣・堀
 (1589)
広島城へ 内堀沿いにぐるーっとまわって見た五層の威容に感激です。
内堀に沿って建つ天守の外壁は腰高に黒い鎧下見板張りです。
市内電車に乗って行くのも風情があるかも。
でも今回も、訪城しても、早朝で、天守閣内に入ることがなく残念です。
2006.5.20
2000.8.9
1973.3.30
223 下田城祉
 (鵜島城)
  伊豆(静岡)
曲輪、堀切・空堀
 (1337)
下田城祉へ 下田城は、天正年間、豊臣秀吉の小田原攻めの際、小田原北条方の出城として南伊豆防御の重要拠点でした。
本丸から東南へ向かって曲輪が連なっているのですが、この曲輪と曲輪の間の堀切がスゴイです。
更にもっとすごいのは、曲輪の南側に続く長くて深い空堀です。
2006.5.4
222 河津城祉
  伊豆(静岡)
曲輪、土塁
 (室町時代)
河津城祉へ 河津駅から城跡入口までは10分程度。山麓に城址案内板があり、そこから山登りになりますが、道は整備されている上、急な山道ではないので比較的楽に、20分から30分程度で登れます。
山頂の主郭はそれほど広くありませんが、二の丸の5m程度の上に展望台があり本丸跡で、ここに昔は櫓があったのでしょう。
山頂部からの太平洋を見晴らす眺望は素晴らしいです。
2006.5.4
221 下館城跡
 (法螺貝城)
  常陸(茨城)
曲輪、堀
 (天慶年間)
下館城跡へ 舌状台地の上に築かれた下館城は、昭和の初め頃までは、二の丸や空堀残っていたそうですが、今では住宅地に埋没してしまい、小学校(二の丸)との間の坂道が横堀跡かと思われ、わずかに本丸跡の八幡神社の敷地の隅っこに小さな石碑があるのみになってしまったお城です。 2006.5.2
220 伊佐城祉
  常陸(茨城)
曲輪、櫓台・空堀
 (1111)
伊佐城祉へ 伊佐城は後の伊達氏発祥の地だそうです。
城祉へは道路に案内板もありますが非常に分かりにくく、五行川沿いの観音寺を目指すのが近道です。
観音寺=伊佐城祉であり、山道の途中の観音寺の門は、まるで城門かのような雰囲気があります。
2006.5.2
219 久下田城祉
  常陸(茨城)
曲輪、空堀
 (1586)
久下田城祉へ 久下田城は、鬼怒川と五行川に挟まれた台地の上に築かれた城で、幾重にも堀をめぐらした水城の縄張りでした。 その本の丸を囲む空堀がはっきりと残り、城の様子が良くわかります。
現在、本の丸が公園となっていて、2つの城址石碑と稲荷神社があります。
2006.5.2
218 真壁城跡
  常陸(茨城)
城門、曲輪・土塁・堀
 (1172)
真壁城跡へ 真壁城跡は、現在国の指定史跡となっていて、今も整備事業が展開されています。
真壁城の城地は、本丸の東の一の堀を渡って、二の丸、中城(三の丸)から東端の鹿島神社までにある。
本の丸と二の丸は一段高く、中城(三の丸)の隅にはかつて櫓が建てられていたであろう櫓台跡の土塁があります。
2006.5.2
217 岩瀬城祉
  常陸(茨城)
曲輪、土塁・堀切 岩瀬城祉へ 岩瀬城は、県立岩瀬高校の西側にある比高6mほどの東西に細長い小さな台地上にあり、中央を主郭に、東側に深さ4m程もある堀切を挟んで2郭がありますが、民家と吼えるが犬がいて、中の土塁などは確認できませんでした。
西には二重の堀切で区切られて3郭がありますが、ヤブなので、あまり詳しくは確認できません。
岩瀬高校の東隣の山の上の櫓や城門まである模擬天守も一見かも。娯楽センタで、中では???さんの歌謡ショウをやっていました。
2006.5.2
216 羽黒山城祉
  常陸(茨城)
曲輪、土塁
 (南北朝時代)
羽黒山城祉へ 南北朝時代に南朝方であったとされる標高200mの山城跡です。
入口はよく整備されていて、麓から一直線にかなりキツイ斜度で登ります。
本丸・二の丸・三の丸跡も、よく整備は行き届いており、本丸には石垣混じった土塁が長方形に近い楕円で巡っています。
2006.5.2
215 笠間城祉
 (桂城)
  常陸(茨城)
曲輪、櫓(移築)・天守台・石垣・土塁・空堀
 (1234)
笠間城祉へ 笠間城は、佐白山に築かれた関東の城では珍しい石垣のある堅固な山城です。
大手門前の空堀を渡り、大手門跡へ、そして中門から二之門へ。本の丸の敷地は結構広く、一段高く築かれた土塁と八幡櫓台が残っています。
本の丸奥の空堀を渡った所から始まる天守曲輪への急な石段を登ると関東地方でも随一の打ち込みハギの天守曲輪石垣があり、その上には天守櫓台跡が待ち受けています。
天守(神社)の裏手には、大きな岩がごろごろしていて崖下の石倉に続いています。 鎖を伝って降りるのも、登るのもスリルがあってよかったです。
2006.5.2
214 湯崎城祉
  常陸(茨城)
土塁、空堀・郭
 (1203)
湯崎城祉へ 川・湿地に突き出た台地上の城で、本郭跡は現在、牛舎と栗畑になっているが、北側の虎口あたりや周りに土塁と堀が残っている。
南側は涸沼川の低地と根田池からの急崖、北側の平地側は空堀と土塁で守られていたと思われ、出曲輪状の高い土塁と空堀で囲まれた小さな曲輪跡がある。
2006.5.1
213 長兎路城祉
  常陸(茨城)
曲輪、土塁
 (1203頃)
長兎路城祉へ 長兎路城は、湯崎城の出城の1つで、涸沼川の低地を南に臨む台地の先端部にあり、方形で高さ2mほどの土塁に囲まれ、北側と東側は切通しの堀になっていて、特に堀の東側先端は竪堀状になって、台地下に続いています。 南側は、台地先端部で断崖になっていましたが、西側からは簡単に上がれてしまいそうです。2006.5.1
212 宮ヶ崎城祉
 (天王城)
  常陸(茨城)
土塁、空堀
 (南北朝〜室町前期)
宮ヶ崎城祉へ 宮ヶ崎城は、涸沼に臨む比高15mほどの台地先端部の鹿島神社の北側にあり、その先の畑地になっているところが城址です。
城址の北西側は土取りでだいぶ破壊されていて、また台地2郭、3郭跡をバイパス工事で削っていました。
宮ヶ崎城のすぐ南の鹿島神社の南側には、宮ヶ崎館と呼ばれる単郭方形の居館の跡があるそうですが、私は見損ねました。
2006.5.1
211 小田城祉
  常陸(茨城)
曲輪、土塁・馬出・水堀
 (12世紀)
小田城祉へ 小田城は国指定史跡になっており、現在でも少なくとも三重の堀の跡が確認できる大規模な平城です。特に1郭(本丸)の東北端と東南端とには、高さ3mほどの高い土塁が素晴らしく、全体も広く見晴らせて、気持ちが良いです。
それにしても、かって関東鉄道の線路跡=今はサイクリングロードになっていますが、それが1郭を斜めど真ん中を横切っており、その爪あとは痛ましい限りです。
2006.5.1
159 大宝城跡
  常陸(茨城)
土塁、空堀
 (1232)
大宝城跡へ 粗っぽい地図では、判りにくい場所ですが、判ってみると大宝小学校の近くの八幡神社の鳥居がある小高い丘の所に遺構がありました。
台地の上から見ると田植えの準備中の水田が一体に広がっていました。
大宝八幡神社の北側に下りると右手沿いには100m程の高さ3mの立派な土塁が残っています。 また神社南側鳥居横の土塁も結構長く、立派です。
大手門跡の広場は結構広く、跡地に三吉稲荷参道と称する杭の並ぶ参道がいわくありげです。
2006.5.1
2004.5.3
157 豊田城
  常陸(茨城)
模擬天守(史実と関係なし) 豊田城へ 歴史上の豊田城跡は現在の小貝川の河川敷下になっているそうですが、それにしても五層七階建ての模擬天守閣はすごいです。あきれて登城する気もおこりませんが・・・。また廻りにある倉庫なのか櫓風の建物が点在するのも史実とは全くかけ離れてすごいです。 2006.5.1
2004.5.3
209 唐澤山城址
 (根古屋、栃本城)
  下野(栃木)
石塁、堀井戸、土塁
 (927)
唐澤山城址へ 駐車場からすぐのその昔見張り台として使用された天狗岩を登り、眼下を見下ろすと、「関八州を見渡す」は大袈裟かもしれませんが、遠くまで見渡せました。
関東7名城の一つでもあり、立派な枡形の大手門石垣や、高さ7〜8mの高石垣で囲まれた本丸など石垣好きな人にはたまらないお城です。
その他、上杉の連続竪堀、後北条氏の虎口などすばらしき遺構の宝庫にもかかわらず、なんと、なんの指定もないそうです。
2005.11.13
208 佐野城址
 (春日岡城)
  下野(栃木)
曲輪、空堀
 (790)
佐野城址へ 城跡駐車場への案内板が道沿いのあちこちにあり、それらに従っていくと、台地にある佐野城跡からどんどん遠くなっていき、一体どこまで行くの?って感じです。
この台地のみに残る佐野城跡は、公園になっていて、北から北出丸、本丸、二の丸、三の丸笹曲輪と連郭式に、それらの間は立派な堀切があり、その下は道になってはいますが、橋の上から堀切を眺めると、すごく高さがあるのが実感できます。
城跡公園へは、両毛線佐野駅からは渡り廊下で直接三の丸広場に出れます。
2005.11.13
207 館林城跡
 (尾曳城)
  上野(群馬)
堀、土塁・復興城門
 (1532)
館林城跡へ 徳川綱吉が将軍になる前に在城したことで有名な館林ですが、城地は公園や市役所、つつじが岡公園になってしまい、僅かに城沼や三の丸の土塁や復元城門が残るだけです。
しかし、本丸は広い芝生公園になっており、そのど真ん中に一本の大きな木があり、そこに自家用車で乗りつけた家族連れが、のんびり犬とジャレ遊んだり、駆けっこやバトミントンをしている光景はよいものでした。(それともいけない事をしている家族連れだったのでしょうか?)
2005.11.13
206 小泉城跡
 (冨岡城)
  上野(群馬)
水堀、土塁
 (1489)
小泉城跡へ 市街地にも関わらず、良く外堀・内堀などが埋め戻されずに、本丸を囲む土塁などを含め良好に遺されています。現状でも手入れ等は大変なことでしょう。 2005.11.13
205 足利氏館
 (鑁阿寺館)
  下野(栃木)
水堀、土塁・桜門・反橋
 (平安末期)
足利氏館へ 足利学校は、良く復元、整備されており、庭園も綺麗です。孔子堂で、論語等に思いをふけったり、学校内では漢字テストも出来る(初級で簡単すぎましたが)ようになっていて、庭園側のすのこで日向ぼっこがてらでのんびりと落ち着くのもよいでしょう。
その後、足利氏館へ。鑁阿寺を一周したのですが、水堀が巡り、土塁もあるし、東西南北に門も残っていて、本当に素晴らしいです。
2005.11.13
204 金山城跡
 (太田金山城)
  上野(群馬)
曲輪、土塁・空堀・石垣・井戸
 (1469)
太田金山城跡へ 金山城へは、車で西城までいきます。(無料駐車場あり)。ここから本丸までは、徒歩で大体20分くらいです。途中に、復元した物見台や矢倉台、馬場道などが多数あります。
途中にある詳細な「鳥瞰図」によると、金山城は「実城(みじょう)」を中心に西城、坂中城、八王子城というよるに、4つの山が連携して防御性を高めた山城だそうです。
それにしても、本城の大手虎口付近の復原された石垣や水路などが圧巻です。また空の青さが映える月の池、日の池の眺め、休憩小屋付近からの下界の眺めなど、すばらしいです。
2005.11.13
203 鉢形城址
  武蔵(埼玉)
郭、土塁・堀・馬出し
 (1473)
鉢形城址へ 全体の案内板があまりないので、うっかりすると正喜橋を渡って搦手口にあたる笹曲輪から本郭の部分しか見ないで帰還してしまいがちですが、城跡の真ん中を幅8メートルの県道が貫通している所を進み、道が右にカーブする手前にまっすぐの大型車両通行禁止の表示のある道を行けば二の郭、三の郭の間に出ます。
一番奥の諏訪神社の西から北の周囲も堀が確認でき、馬だしがあり、神社の東に土塁の虎口が開き、三の郭へと登れます。
諏訪神社からは3mほどの土塁とみえましたが、三の郭へ入るとりっぱな石積みが西側80mくらいの長さで積まれていました。秩父郭と二の郭をつなぐ橋と丸太の柵はまだ復元されたと感じますが、三の郭の復元された門と塀、石垣は当時の復元ではないようです? 全体の風景の中で妙にアンバランスな雰囲気をかもし出していると思うのは、私だけでしょうか。
2005.9.10
202 前橋城址
 (厩橋城)
  上野(群馬)
土塁、車橋門跡
 (1489)
前橋城址へ 前橋城址へは、近隣では飛びぬけて立派なビルの群馬県庁を目指しましょう。それにしても立派なビルです。
県庁は本丸跡にあり、その県庁北側、高浜門跡の付近の数少ない土塁の見事さは特筆モノで、高さ、幅、形とも、圧倒的な迫力があります。
二ノ丸には前橋市役所、三ノ丸には地裁、三ノ丸外郭には前橋公園があり、主要城域はほとんど公共施設になっています。 なお、前橋公園の土塁上の鉢巻状の石垣は遺構ではありませんので注意です。
県庁前の交差点から「県庁前通り」を東に200mほどの所に車橋門跡が残っているのですが、「県庁前通り」からは少し奥に入ったところにあるので、見過ごしてしましました。残念!!
2005.9.10
201 沼田城址
 (蔵内城)
  上野(群馬)
土塁、曲輪・西櫓台・模擬鐘櫓
 (1532)
沼田城址へ JR沼田駅から見上げると、壁のような利根川上流の河岸段丘が続く崖上の台地に沼田城の本丸をはじめとする二の丸、三の丸などの曲輪があります。本丸跡から見下ろす沼田市街や遠く見通せる景色もすばらしいです。
遺構としては、わずかに残る本丸堀、発掘された本丸西櫓台虎口の石垣と石段、三ノ丸土塁下の堀底の道路など多くはありませんが、遺構そのものよりも、目もくらむような崖端に築かれた典型的な崖城を見て欲しいものです。
2005.9.10
※ 各城の紹介文には、現地の説明板や登城時に入手したパンフレット、
  「日本名城の旅」(日地出版発行)、「図説・日本の名城」(河出書房新社発行)、
  「復元イラストと古絵図で見る日本の名城」(碧水社刊)他のものを
  利用させていただいております。
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