信州上諏訪・高島城(別名・諏訪の浮城、島崎城)

―― 湖畔に築かれた天守 ――  ( down )

平成11年(1999)の 高島城へ
南東方面から見た堀に浮かぶ高島城天守閣 
ダブルクリックで拡大図(62kB)へ 本丸内の庭園より見た高島城天守閣 
ダブルクリックで拡大図(56kB)へ  諏訪湖周辺を治めていた諏訪氏が、武田・織田の相つぐ侵攻を受けた後、天正18年(1590)豊臣秀吉による関東へ移封となった徳川家康に従って諏訪頼忠が武蔵国比企郡奈良梨へ移ると、その後諏訪に転封された豊臣秀吉の部将、日根野織部正高吉二万七千石で入封した。

 高吉が入ったのは、諏訪市の背後にそびえる旧茶臼山の高島城で、入城の翌年、これを廃して、現在の城地に築城することを決めた。高島城は、文禄元年(1592)から本格的な築城を始め、七年ほどかけて慶長3年(1598)にほぼ完成した。
 この高島城は湖水の端に位置する小島に築かれた水城で、小規模ながら湖と低湿地に囲まれた要害を成していた。

 西北に三層の天守を築いた本丸を中心に二の丸・三の丸・衣の渡郭の四つの曲輪から成る連郭式の縄張りは、南北に長く湖に面して構えられ、諏訪湖と数条の河川が周囲をめぐり濠の役をつとめ、諏訪湖の波も城壁に迫りあたかも水中から城郭のみが浮き出した形であったので、別名これを「諏訪の浮城」と呼び、その威容を誇った。
内堀を挟み大手門前の道路より 
ダブルクリックで拡大図(93kB)へ 諏訪湖側の無料駐車場より見た高島城天守閣 
ダブルクリックで拡大図(56kB)へ
 城が湖から離れたのは江戸時代で、天保元年(1830)に天竜川釜口の浜中島を撤去したことにより、諏訪湖の排水がよくなり湖の水位が下がったことによるといわれている。
 また、甲州街道宿場町の上諏訪とつなぐため、城下町が城郭と離れて形成されているのも特徴である。

 関ヶ原の合戦後は、日根野氏の関東への転封と入れ替りに、慶長6年(1601)高島城には再び諏訪氏が帰城し、初代藩主諏訪頼水から10代藩主諏訪忠礼に至る江戸時代270年の間、諏訪氏の居城となった。

 明治4年(1871)7月、廃藩置県によって高島城は高島県庁舎となった。
 天守閣は明治8年(1875)に取り壊され、二の丸、三の丸その他は住宅地となっている。わずかに本丸石垣と天守台、内堀、大手門前のけやき並木が、往時をしのぶのみである。明治9年(1876)5月高島城址は「高島公園」として一般に開放された。
内堀を挟んで見た隅櫓 
ダブルクリックで拡大図(83kB)へ 三の丸御殿裏門(御川渡門跡) 
ダブルクリックで拡大図(59kB)へ
 朝夕の「時の太鼓」がならなくなって100年、諏訪の住民の「高島城」に寄せる愛着は強く、昭和45年(1970)春、ここに「高島城」(天守・隅櫓・門塀)は復興された。

 堀に浮かぶ天守閣は絵のとおりです。冬の雪をかぶった風情はもっと良いかもしれませんね。
 現在は諏訪湖からははるか遠くなりましたが、三の丸御殿裏門(御川渡門跡)がその名残りでしょうか。
 でも、たった、2年の間に高島城の周りがすっかり市街化してしまいましたね。残念です。


 信州上諏訪・高島城 城郭の概要  ( up )
北方面からの天守閣 
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本丸からの大手門二階櫓の裏側 
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本丸からの隅櫓 
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天守閣最上階から見た内堀と大手門方面

 高島城が築城される前、この地帯は南北約0.7km東西約0.5kmの小島で漁村「高島村」があった。

◆本丸
北隅に三層の天守閣があり、中には城主の御居間や地震部屋、政治の中心になる御用部屋、郡方などがあった。
◆二ノ丸
家老の二ノ丸家屋敷のほかに御作事屋、貯米蔵、貯銭蔵、馬場などがあった。
◆三ノ丸
三ノ丸御殿、御勘定所、家老の三ノ丸家屋敷があり、後、天保7年(1836)に勝田鹿谷の献策により常盈倉(じょうえいそう)を建て豊年に米穀をたくわえ、凶年の窮民救済の資にあてることとした。
◆天守閣
延面積    381平方メートル
高 さ     20.2m(含む鯱1.7m)、三層
鯱(しゃち)  高さ1.7m、重さ250kgブロンズ製
天守台(石垣) 12.54m
一階
(187平方メートル、13.8m四方)
当時、南方(今の昇り口)に面して唐破風があり、正面梁下には梶の葉の紋章をつけて一城の威厳を示した。
右方に上層へ昇降するための箱段があり、左方に湯呑所と称して10畳敷の間があり、番士が常勤した。
二階
(141平方メートル)
当時20畳、15畳、15畳の3間があり、20畳の間を大広間と称し、一朝事あるときの軍議を評定するところであった。その奥、左右15畳の2間をそれぞれ上使聴聞の間、上使休息の間といった。
外部は浜椽で平素雨露にさらされていたが、戦時はここに斥候を出して敵状を偵察し、あるいは功城の敵に対し防御の矢石を飛ばすところであった。
三階
(53平方メートル)
当時左方に8畳2間、右方に6畳2間があり、前者は藩主休養の座に供し、後者は焼火の間と称し秘密事を協議するところであった。
各間の襖には代々藩主の揮亳の書画を貼った。
屋根
柿葺といい檜の薄い板をもって屋根を葺いてあった。
石垣
築城当時の石垣はのみを使用せず、石垣の面より奥に長い自然石を積み上げたもので谷間おとし(または野面積み)と称され荒い独特の積み方である。
天明6年(1786)の大掛りな補修によって大部分は整備されたが、現在でも谷間おとしの一部が残されている。

 諏訪高島城                              平成15年4月19日時点  
◇交通・JR上諏訪駅から徒歩15分(約1km)
・JR諏訪駅バス城南保育園前下車すぐ
   諏訪湖一周(湖周バス)1日1,000円も便利
◇入場料大人150円、小人75円
◇休業日12月26日〜31日
◇開場時間  4月1日〜9月30日:午前9時から午後5時30分まで
10月1日〜3月31日:午前9時から午後4時30分まで
   ※ いずれも入城は閉門30分前迄
◇お問合せ ・諏訪市観光課  長野県諏訪市高島一丁目 TEL(0266)52-4141 
・諏訪市観光案内所  JR上諏訪駅前     TEL(0266)58-0120 
・テレホンサービス                 TEL(0266)52-8777 

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