松本城(別名・深志城) 【 平成13年(2001)版 】

―― 豊臣政権の野望を担った信府の名城 ――
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二の丸(西方面)から
内堀越しの天守群
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二の丸から内堀越しの
天守群(西面)
二の丸から内堀越しの
天守と辰巳附櫓、月見櫓(南面)
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二の丸から内堀越しの
天守と辰巳附櫓、月見櫓(南面)
 松本の地は古代以来、国府がおかれ信濃国の中心として信府と称された。
 松本城は戦国時代の永正元年(1504)に小笠原氏一族の島立貞永が築いた深志城に始まるという。天文19年(1550)に甲斐国の武田信玄に攻められて落城し、小笠原氏は去った。以後、32年間にわたって武田氏の信濃攻略の戦略拠点となり、甲州流普請が施された。

 安土桃山時代の天正10年(1582)に織田勢の攻撃で武田氏が滅び、この地に再入城した小笠原貞慶が大修築し、名を深志城から松本城に改称した。本丸・二の丸・三の丸を設け、堀と塁を巡らし、虎口が五箇所に置かれた。

 松本城の大・小天守がいつ建てられたかは定かでないが、現存する城の基を築いたのは、天正18年(1590)にこの地に封せられた徳川家康から豊臣秀吉の臣となっていた石川数正である。数正は翌19年から城の普請をはじめたが、文禄元年(1592)十二月に城の完成を見ずに没した。

本丸北門側から御殿跡越しの
天守群(北東面) 
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本丸北門側から御殿跡越しの
天守群(北東面)
埋の橋からの
天守、乾小天守(北西面)
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埋の橋からの
天守、乾小天守(北西面)
 城普請は、その後数正の子康長によって受け継がれ、この時の城普請にかかわる史料は極めて乏しく、直接天守ほかの建物の完成を示す記録は全くないようですが、文禄4年(1595)になると、郭外の侍屋敷建設のための材木調達をはじめている所から、この頃には本丸の建物、特に天守などの工事が終わりに近づいていて、一、二年あとの慶長元年(1596)か同2年には、完成したとするのが適当と言われています。

 昭和25年から30年にかけて行われた天守群の解体修理でも、天守等の工事の進行を示すような墨書などは発見されなかったようですが、工事の記録によると、大天守と小天守の基本寸法に相違があること、大天守に残されている痕跡から、現状より以上に破風などが付いていたと考えられること、大天守内部に間仕切りがあったこと等がわかっています。

 また、石垣の状況等から、大天守と小天守は同時に築かれたと考えられていますが、辰巳付櫓と月見櫓は、後に付け加えられた建物です。
二の丸から内堀越しの
黒門枡形(南面) 
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二の丸から内堀越しの
黒門枡形(南方面)

 
太鼓門枡形からの
一の門正面 
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太鼓門枡形からの一の門正面
 
 この両櫓造営に関しても良い史料がなく、『信府統記』に伝えられているように、寛永10年(1633)に松本に入った松平直政によって築かれたとすれば、直政は寛永15年に出雲に転封させられているから所から、直政在城の寛永10年から寛永15年の間に築かれ、天守群の現在の姿が出来上がったようです。
 このような変遷のあった松本天守ですが、明治維新時の旧物破壊で競売に付され破却寸前のところを、のちの民権家市川量造らの努力で救われ、のち国宝指定となりました。

 松本城は、女鳥羽川扇状地の先端に位置する平城で、現存する天守閣ではもっとも古い遺構のもので、実戦用に建てられた城は、烏城とも呼ばれるにふさわしく、全体に黒塗りで、鉄砲挟間や弓挟間も多く厳しさを持つ半面、南東隅に月見櫓を備えるなど風流さも見えます。

 本丸を中心に内堀・外堀・総堀が三重にめぐり、郭外は武家屋敷、町人町、寺社地帯を配した城下町です。郭内(総堀の内)は総面積39.1万u(約12万坪)あり、天守の建つ本丸は北に偏っていますが、二の丸と三の丸は回廊形に配置され、南正面に大手門があります。

(松本城(別名・深志城) の全景写真)



 松本城天守の特徴  ( topへ )

二の丸の黒門前からの
天守と辰巳附櫓、月見櫓(南東面) 
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二の丸の黒門前からの
天守と辰巳附櫓、月見櫓(南東面)
天守最上階(6階)内部
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天守最上階(6階)内部
 
◆平城
 松本城は平城である。城とともに城下町も同時に建設された。本丸を中心に三重の水堀をめぐらし、その外に町や寺社地帯をおいてある。
 城内は、各曲輪ともほぼ方形で南正面に大手門がある。また、城の防御力を強化する門、塀、櫓、天守、御殿などの建造物を要所要所に配置してある。
 豊臣氏のバックアップをうけた石川氏が前任者小笠原氏の企画を大きく越えて築城した松本城は、わが国における近世城郭の中で初期の城郭である。

◆天守
 松本城の天守は、5重6階(外見は5層で内部は6階)の大天守を中心に、乾小天守を渡櫓で連結し、辰巳附櫓と月見櫓とを複合した「連結複合式」と呼ばれる構成で、独立天守の多い当時のものとしては珍しく、他の天守に見られない変化のある構造美を示しています。

渡櫓(天守入り口)前からの辰巳附櫓と月見櫓 
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渡櫓(天守入り口)前からの
辰巳附櫓と月見櫓
三方が開け放たれた月見櫓内部 
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三方が開け放たれた月見櫓内部
 
 また大天守の構造は「後期望楼タイプ」に分類されますが、屋根は初期の天守特有の二重目の大きな入母屋の屋根がなく、各重とも寄せ棟式の屋根に納め、少ない千鳥破風と唐破風で飾ります。
 内部は、他の城の天守のような大黒柱がなくて、二階ずつの櫓を三つ重ねて建てられており、初期の天守にも見られる住宅風の装置がなく、倉庫化している。
 外壁は各重とも上部は白漆くいの大壁で、下部は黒の下見板張りです。
 最上階には展望用の廻り縁がなく、数多くの矢狭間、鉄砲狭間や石落しを備えています。これは関ヶ原の合戦前の実戦に備えて武備を強化した時代のすう勢を反映しています。(古風な初期的手法を残しながら、江戸時代の先駆をなす進歩的な手法をみせている。)
 この点、我が国城郭建築史上貴重な意義をもつと言われている。
 月見櫓は、寛永年間の改築で、泰平の世相を反映して、住宅風の意匠を取り入れた風雅なものになっている。

本丸御殿跡からの乾小天守と渡櫓(入り口)
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本丸御殿跡からの
乾小天守と渡櫓(入り口)
乾小天守1階内部と2階への階段 
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乾小天守1階内部と2階への階段
 
◆狭間(はざま)
 天守の壁や櫓、塀などに設置された弓、鉄砲を発射する銃眼の小窓を、「矢狭間」、「鉄砲狭間」という。 松本城の狭間は、極めて古式のもので、その数が多い。種ヶ島に鉄砲が伝来して以来の弓と鉄砲を併用した当時の戦闘方式がうかがわれる。

◆石落
 「石落」は、石垣をよじ登る敵に石を落した防御装置である。松本城の石落は露出型で古い形式である。初重の四隅ばかりでなく、その中間にも設けられており、例が少ない。

◆石垣
 近世の平城にとって最も重要な防御施設は堀と石垣である。松本城の石垣は、野面石による空積みで初期の手法である。勾配がゆるく直線的で低い。粗放に見えるが堅牢である。石質は石英閃緑岩やひん岩でこの近くの産である。

二の丸からの内堀と二の丸御金蔵(北方面) 
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二の丸からの
内堀と御金蔵(北方面)
埋の橋の中央から見た水の手口埋門正面 
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埋の橋の中央から見た
水の手口埋門正面
◆太鼓門
 いつの世も非常事態の通報や合戦での命令や指揮、連絡には合図が必要であった。特に戦国時代になると合戦が続き、武士団の統率の必要性から合図が複雑になり、太鼓や半鐘、法螺貝が用いられるようになった。

 松本城太鼓門枡形は、天守築造後の文禄4年(1595)ころに築かれ、門台北石垣の上に太鼓楼が置かれ、時の太鼓、登城の合図、城下の火急の合図などの発信源として重要な役割りを果していた。太鼓門という名称は、この太鼓楼に由来したものである。

◆国宝松本城について  松本城は全国でも貴重な城郭として、昭和5年に本丸・二の丸が史跡に指定され、天守群(大天守、乾小天守、渡櫓、辰巳附櫓及び月見櫓)の一連の建造物が昭和11年3月に国宝に指定されている。

外堀越しの二の丸隅櫓跡の土塁(東面)
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外堀越しの二の丸隅櫓跡の土塁(東面)
松本城の国宝認定書の写し
松本城の国宝認定書の写し
◆印象、感想
   7/20に初公開の松本城乾小天守に登城してきました。急な階段ゆえに未公開だったそうですが、確かに結構急でした。ぜひ行ってみてください。
 でも、さすがに現存する国宝の天守閣です。大天守に登った後の5階⇒4階への下りの階段差35.6cm?にはご注意!

 平日なら太鼓門の前にある市役所の展望台から見る松本城とアルプスの眺めは最高だそうですよ。だめでも、日本民族資料館から見る松本城もベター。
 早朝に本丸・二の丸の周りを一周するのも散歩としてはよかったです。
 市内見物は、徒歩でじゅうぶんですが、松本城周遊バス(1日券500円)も便利。

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 国宝松本城                             平成13年7月20日時点  
◇交通・JR篠ノ井線 松本駅より徒歩15分
・松本周遊バス(100円/回)にて松本城黒門前下車
      1日券500円(午前9時〜午後5時まで30分間隔で運行)
◇開館時間・午前8時30分〜午後5時まで(入城は4時30分まで)
  ただし、4月28日から5月6日までは午後6時まで
◇休館日・12月29日〜翌1月3日
◇入場料・大人 520円、小人 250円(日本民俗資料館と共通券)
◇お問合せ  ・松本城管理事務所  長野県松本市丸の内4番1号
                 TEL(0263)32-2902 
・松本市観光案内所  長野県松本市深志一丁目1−1
                 TEL(0263)32-2814 

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット
・<図説>日本の名城 (平井聖・小室榮一編 河出書房新社)
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