三田城跡(別名:車瀬城)

三田小学校の本丸跡にある城跡碑
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三田小学校の本丸跡にある
城跡碑(北東面)
本丸と二の丸の間の立派な水濠
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本丸と二の丸の間の
立派な水濠(東方面)
 県立有馬高等学校付近は天正年中(1573〜)伊丹有岡城主、荒木摂津守の部将荒木平太夫の居城であった。
 のち山崎堅家、有馬則頼、松平重直そして寛永10年(1633)鳥羽より移封された九鬼久隆と城主が代わる。
 三田小学校付近は、九鬼城主の居館、現校舎地下に御台所跡が保存されている。
 県立有馬高等学校と三田小学校との間にある道沿いの濠は、本丸館と二の丸との境の堀であった。
 旧市民病院裏の舌状高台あたりを「古城」と呼んでいるので、名のとおりそこであるかもしれない。
 城跡から屋敷町一帯にかけて古瓦や礎石・中世の石造物などが出土している。

 三田が門前町として開けてきたところだといわれるのは、奈良時代に金心寺という大寺があったからである。
三田小学校東にある九鬼家住宅資料館
三田小学校東にある
九鬼家住宅資料館
元御下屋敷の御門を移築した金心寺の黒門
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元御下屋敷の御門を移築した
金心寺の黒門
 今から約千三百年前(8世紀)定慧上人により創建という金心寺は、屋敷町付近一帯に大伽藍があったが、豊臣秀吉の三田城攻略の時焼失した。
 寺はその後屋敷町に再建され、明治2年、現在の西山丸岡に移転した。
 ご本尊修理の時胎内からの文字で「当地は松山庄というが、これを金心寺三福田により三田と改める」とあり、三田の地名の起りが知れた。
 金心寺の黒門は、元御下屋敷の御門を移築、寺には多くの重要文化財がある。

 城跡は武庫川に突出した丘陵の先端部の要害にあり、「三田小学校」が本丸、「有馬高校」が二の丸だったようです。
 両校の間には立派な水堀が、高校の東側には空堀跡が残っていました。
 高校と小学校の道を200m程東に下っていくと右側に九鬼家住宅資料館があり、無料で見学でき、資料等ももらえます。
本丸:三田小学校と二の丸:有馬高校の間の立派な水濠(西方面) 本丸と二の丸の間の立派な水濠をせき止める堰
本丸:三田小学校と二の丸:有馬高校の間の立派な水濠(西方面) (16kB) 水濠をせき止める堰
本丸:三田小学校(南面)とため池 本丸南のため池(南西方面)
本丸:三田小学校(南面)とため池(13kB) 本丸南のため池(南西方面)
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 三田城跡                                   平成21年8月13日時点  
◇所在地 ・兵庫県三田市屋敷町・古城
◇交通 ・JR福知山線三田駅南側の県道141号線を西に進み、三田市役所手前の信号を左折、
   三田大橋を渡り、すぐの信号を左に進み、法務局前の信号を右折、
   旧九鬼家住宅資料館前を通過して、坂を上がると城址碑まで、徒歩約20分
◇問い合わせ三田市観光協会        電話:079-559-5087

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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