紀伊亀山城跡(別名・湯川、丸山城)
本丸上段の曲輪奥にある城址碑(北方面)
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本丸上段の曲輪奥にある
城址碑(北方面)
JR御坊駅南方からの亀山城遠望(南面)
JR御坊駅南方からの
亀山城遠望(南面)

 亀山城跡は、標高110mの亀山山上に位置し、湯川城・丸山城ともよばれた。
 室町時代の初期(南北朝時代)永享11年(1444)頃、湯川光春によって本城として築かれ、以後、戦国時代にかけて有田・日高・牟婁郡主要部を支配した湯川一族の居城として歴史的重要な位置を占めていた。

 11代直光の時の天文18年(1549)、亀山山上の山城では風害があるので、山麓に大規模な館を築いて住居とした。この館を小松原館という。

 その後、天正13年(1585)12代直春は、羽柴秀吉の紀州征伐に従わず、自ら城を焼いて、叔父湯川教春の泊城に逃れて、廃城となった。
 翌14年、直春の一族は、大和郡山城の秀吉の弟秀長を尋ねたが、秀長によって毒殺され、ここに湯川氏は亡んだ。

本丸上段曲輪の北西側の土塁
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本丸上段曲輪の北西側の土塁
 
本丸上段曲輪北側下の曲輪(北西方面)
本丸上段曲輪北側下の曲輪
(北西方面)
 城は、本丸、二の丸をはじめ、大小28郭からなり、本丸には2〜3mの土塁がめぐらされていた。
 城址には土塁の一部と古井戸を残している。

 JR御坊駅から史跡めぐりハイキングコースの案内板に従って行けば、まず道に迷うことはないとのことでしたが、丸山中央集会場を過ぎたすぐのBの案内板が右折したすぐの木の葉に隠れていて見逃し、通り過ぎて山の周りをかなり歩いてしまいました。

 亀山の最高所に、二段になっている本丸とその北側に二段の曲輪が配置されていますが、本丸の高い土塁はすばらしいです。
本丸への急坂の登山道 本丸南東端の虎口跡 本丸北側曲輪からの本丸土塁
本丸への急坂の登山道
(南面)
本丸南東端の虎口跡
(南方面)
本丸北側曲輪からの
本丸土塁(北西面)
本丸下段虎口付近からの曲輪内部と北西側土塁 本丸下段曲輪の北西側土塁
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本丸下段虎口付近からの曲輪内部と北西側土塁(北方面) (24kB)
本丸下段の曲輪内部と南西側土塁 本丸西端からの南西側土塁上部
本丸下段の曲輪内部と南西側土塁(北西方面) (30kB)
 
本丸西端からの
南西側土塁上部(南東方面)
本丸上段曲輪内部と城址碑(北方面)
本丸上段曲輪内部と城址碑(北方面) (32kB)
本丸下段南西端土塁上部からの御坊市街地(南方面)
本丸下段南西端土塁上部からの御坊市街地(南方面)(9kB)
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 紀伊亀山城跡                                平成21年8月12日時点  
◇所在地 ・和歌山県御坊市湯川町丸山
◇交通 ・JR紀勢本線御坊駅西側の線路、川を渡ったところに亀山城への道標があり、
   その道路を左に約500m程進むと丸山中央集会場があり、
   そこを約50m程進み、右にある登り道を入ります。
   あとは案内の道標に従い、本の丸まで、きつい坂道を徒歩約15分
◇駐車場 ・丸山中央集会場に駐車スペースがあり
◇問い合わせ御坊市観光協会
御坊市産業建設部商工振興課   TEL:0738-23-5531

参考文献 ・ビジュアル・ワイド 日本の城 小和田哲男 監修 (小学館発行)
・日本城郭辞典 大類伸 監修 (秋田書店発行)
・現地解説板、現地入手のパンフレット

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