有岡城跡(別名:伊丹城)
曲輪への上がり口にある石垣と城跡碑(南面)
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曲輪への上がり口にある
石垣と城跡碑(南面)
北側の曲輪(西面)と空堀(北方面)
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北側の曲輪(西面)と
空堀(北方面)

 伊丹氏がこの場所に城を築いたのは、鎌倉時代末期頃のことである。
 はじめは居館として建てられたが、戦国時代を経て次第に堅固な構えになっていた。
 伊丹氏の城は、天正2年(1574)織田信長方の部将荒木村重の攻撃によって落城した。

 その後、村重は信長の命により有岡城と改名し、壮大な城を築いた。
 有岡城は伊丹段丘の高低差を利用し、南北1.6km・東西800mに及ぶ惣構えが築かれ、要所には岸の砦・上臈塚砦・鴨塚砦が配置された。
 謀反を起した村重は、天正6年(1578)信長勢の攻撃を受け、十ヶ月の攻防の末、強固な城も遂に落城した。
曲輪の北西側の大きな土塁
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曲輪の北西側の大きな土塁
北側の曲輪(北西面)と空堀(南方面)
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北側の曲輪(北西面)と空堀(南方面)

 天正8年(1580)、池田之助が城主となるが、同11年美濃の国に転封を命ぜられ、廃城となった。

 明治26年(1893)、鉄道の開通によって、城跡の東側が削り取られが、土塁や堀など今もよくその姿をとどめている。
 昭和50年(1975)より発掘調査が実施され、土塁・石垣・堀・建物・池等の遺構を検出し、中世城郭から近世城郭への移行期の様相が明らかになった。

 JR伊丹駅の西出口の道路を渡るとそこが「城址公園」となっていて、空堀と土塁が残っています。

駅西口前の歩道にある城跡碑 公園北側入口の石垣と城跡碑(南面)
駅西口前の歩道にある城跡碑 公園北側入口の石垣と城跡碑(南面)(14kB)
曲輪内部と西側の土塁
曲輪内部と西側の土塁 (30kB)
曲輪北部の石碑 曲輪北部の井戸跡 曲輪北部の城壁と石垣
曲輪北部の石碑曲輪北部の井戸跡曲輪北部の城壁と石垣
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 有岡城跡                                平成21年8月13日時点  
◇所在地 ・兵庫県伊丹市伊丹1丁目
◇交通 ・JR福知山線伊丹駅西出口前
◇問い合わせ伊丹市役所総合政策部広報課     電話:072-784-8010

参考文献 ・現地解説板、現地入手のパンフレット

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