杣山城跡

―― 眼下に、旧北陸道が通る日野川沿いの谷を監視する街道要衝を抑える城 ――

JR南条駅ホームからの杣山遠望(南東方面) 
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JR南条駅ホームからの
杣山遠望(南東方面)
 
二の城戸跡に建つ城址石碑(北面) 
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二の城戸跡に建つ
城址石碑(北面)
 
 北陸自動車道 今庄インターの東側に位置する標高492mの杣山には、鎌倉末期から戦国時代末期までの約250年間にわたり山城が築かれていました。
 山頂と尾根には、本丸を中心とした山城、北側山麓の阿久和地区には、城主の居館をはじめ城下集落がありました。

 杣山城跡は、昭和9年と同54年に国史跡に指定、昭和40〜50年代にかけて、山城跡を中心とした発掘と保存整理が行われました。
 平成11〜18年度には、城主の館とされる山麓の居館跡(約3ha)の発掘調査が実施されています。

 阿久和集落がある谷の入り口には、城下を防御するための「二の城戸」と呼ばれる土塁と堀の一部が現存しています。
 山麓の居館跡にも全長が約100mに及ぶ「一の城戸」の土塁と堀があり、建物遺構などが確認されています。

杣山山頂本丸跡からの北陸道沿いの南条市街(旧武生市街方面) 
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杣山山頂本丸跡からの北陸道
南条市街(旧武生市街方面)
 
瓜生保一族・新田義貞を合祀している八王子山麓の杣山神社 
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瓜生保一族・新田義貞を合祀の
八王子山麓の杣山神社
 
 杣山は、桂岩が露出した急峻な天然の要害です。
 3本の登山道は、いずれも途中から急勾配になり、道の狭い崖の岩場もあり怖い思いをする所もあります。

 山頂の本丸跡から延びる尾根には、大小の曲輪(平坦面)が多数造られています。
 「西御殿」「東御殿」と呼ばれる曲輪群からは、建物の礎石が見つかっており、見張り台や兵が駐屯する建物があったようです。
 尾根筋からは眼下に、旧北陸道が通る日野川沿いの谷を監視することができます。
 当時、越前の中心であった府中(旧武生市街)の南に位置する杣山城は、街道要衝を抑える城としての役割を担いました。

 元亨元年(1321)ころ、越後から瓜生衡(ひとし)が一族を率いて移り、杣山に築城。
 延元元年(1336)から翌年に瓜生保(たもつ)ら兄弟が敦賀金ヶ崎城の新田義貞らと呼応して戦った話は『太平記』に詳しく記されています。
東御殿跡の尾根真下にある殿池 
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東御殿跡の
尾根真下にある殿池
勾当内侍が身を隠したという断崖の岩窟「姫穴」 
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勾当内侍が身を隠した
という断崖の岩窟「姫穴」
 その義貞を倒した斯波高経が、正平21年(1360)、室町幕府と対立して杣山城に入り、翌年、幕府軍と交戦中に城中で病没、以後、文明6年(1474)までの約100年間は、斯波氏の重臣で越前国守護代を務めた甲斐氏が城主に就きました。
 戦国時代には朝倉氏家臣の河合氏が城主となり、天正元年(1573)の朝倉氏滅亡とともに杣山城も廃城となりました。

 こうした歴史の舞台となった杣山城には伝説地も多く、新田義貞の夫人・勾当内侍が敵から身を隠したという断崖の岩窟「姫穴」や、城主・瓜生保の戦死を知った妻や侍女たちが袿(うちかけ)を掛けて飛び降りたとされる「袿掛岩」の絶壁などがあります。

 一の城戸、居館跡から姫穴を通り、殿池、西御殿へ上るコースは、急で狭い切岸の道やの岩場を削った狭い道もあり、一番厳しいハイキングコース?かもしれませんが見所も多いのでお勧めです。

[ 居館跡登ってすぐの分岐にあった 「杣山城跡 森林公園 案内図 (119kB)」 へ ]
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二の城戸と外濠跡
現在の杣山神社のある八王寺山西南端より、延元の昔瓜生保が旗揚げした飽和宮の山麓の西北端にかけて約350mを「二の城戸」と呼び、城戸口壕に架けられた橋を「聖が橋」といった。
土塁に沿って濠が残存し、昭和56年(1981)に濠跡622平方メートルを発掘、現状より幅広く道路下まで広がっていた。
その当時は、南北の山すそに至るまで濠・土塁が延び南の山すそにその一端が現存している。
濠の東側に十数メートルの土塁(高さ5.2m、底幅14.5m、頂幅7m)も残存して、その当時が偲ばれる。
 
二の城戸跡に建つ城址石碑(北面) 
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二の城戸跡に建つ
城址石碑(北面)
旧聖ヶ橋上からの二の城戸外濠と土塁跡(南方面) 
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旧聖が橋上からの二の城戸外濠と
土塁跡(南方面)
二の城戸跡からの外濠跡(南西方面) 
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二の城戸跡からの
外濠跡(南西方面)
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百阡n場と家臣御屋敷跡
真光寺を中心とした全長約300m馬乗練兵の場所であった。現在の阿久和道(県道)を直線にしたのがほぼそれである。又百阡n場の両側に家臣の御屋敷があった。
 
一の城戸跡手前駐車場からの杣山(南方面) 
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一の城戸跡手前の駐車場
からの杣山(南方面)
百阡n場沿いの家臣御屋敷跡と説明石版 
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百阡n場沿いの
家臣御屋敷跡と説明石版
家臣御屋敷跡にある百阡n場周辺の説明石板 
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家臣御屋敷跡にある
百阡n場周辺の説明石板
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一の城戸と居館跡
谷間の入り口が「一の城戸」といわれ、長さ100mの土塁が殆ど完全に残されており、この城戸の土塁は谷間の両山端をつなぐ約200mにわたって構築されていたものと思われる。ちなみに現存する土塁は底幅7m、頂幅2m、高さ2m80cmあり、土塁の外側に壕があったと伝えられているが、耕地整理のためその跡をとどめていない。
この土塁から奥の方が大屋敷で、口の方が御屋敷である。大屋敷は一の城戸土塁より奥に向かって三段の平地があり、その奥は山裾にかけてなだらかな傾斜をなしている。三段目は瓜生一族の館跡とされている。三段目より上の部分はなだらかな傾斜で築庭などがあったものと思われる。
 
一の城戸跡の石柱 
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一の城戸跡の石柱
一の城戸の土塁と一段目の大屋敷跡(東方面) 
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一の城戸の土塁と一段目の大屋敷跡(東方面)
三段目より上のなだらかな傾斜の最奥部 
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三段目より上のなだらかな傾斜部
居館跡からの百件馬場と御屋敷跡(北方面)
居館跡からの百件馬場と御屋敷跡(北方面)
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西御殿跡
山頂(本丸跡)から西方にやや降りたところに西御殿跡がある。東御殿跡と共に二の丸跡と思われ、西御殿の広場では戦闘訓練が行われたものと推測される。
 
西御殿跡から文殊堂への下りの尾根道
西御殿跡から文殊堂への
下りの尾根道
西御殿跡最上段からの殿池からの登り口(西方面) 
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西御殿跡最上段からの
殿池からの登り口(西方面)
西御殿跡に建つ石柱と説明石版 
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西御殿跡に建つ
石柱と説明石版
西御殿跡から袿掛岩への途中にある台地と堀切 
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西御殿跡から袿掛岩への
途中にある台地と堀切
杣山の頂上近く南に面して絶壁のうつぎ掛岩(袿掛岩) 
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杣山の頂上近く南に面して
絶壁のうつぎ掛岩(袿掛岩)
山頂(本丸跡)西方下の堀切跡 
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山頂(本丸跡)西方下の
堀切跡
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本丸跡(杣山山頂)
杣山の山上に平地がある。ここは櫓跡と推定されるが、一般的な居城の観念とは異なり、石材等はほとんど使わず、山頂の材木を組立て櫓を作って宅良、今庄、湯尾、鯖波、脇本、今宿などの各駅の状態を監視したものと考えられる。
 
標高462mの杣山山頂の本丸跡(南東方面) 
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標高462mの杣山山頂の本丸跡(南東方面)
杣山城跡石柱 
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杣山城跡石柱
杣山から東に続く尾根(東方面) 
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杣山から東に続く尾根
東方下の段からの本丸跡土塁 
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東方下の段からの本丸跡土塁
本丸跡の北方下の帯曲輪
本丸跡の北方下の帯曲輪
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東御殿跡
山頂(本丸跡)から東北に少し降りたところに東御殿跡がある。東御殿跡は西御殿跡の数倍の広さであるが共に二の丸跡と思われ、本丸勤務並に雑役勤務の諸兵の休憩所として館をたてたものと推測される。
 
二段に分かれる東御殿跡(南西方面) 
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二段に分かれる東御殿跡
(南西方面)
東御殿跡下の段(北東方面)
東御殿跡下の段
(北東方面)
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 国指定史跡 杣山城跡                             平成24年8月15日時点 
◇所在地・福井県南条郡南越前町阿久和・中小屋
◇交通 ・JR北陸本線 「南条駅」下車、駅前の県道247号線(北国街道)か、200m程東の
   国道365号線(北陸道)を線路沿いに南下し、鯖波地区で日野川に架かる橋を
   渡り、県道137号線(杣山城跡線)を西に阿久和地区まで約2km進むと休憩所と
   トイレのある駐車場があり、そこから一の城戸跡の登山口へ(徒歩約60分)
◇駐車場・無料駐車場を利用
◇問い合わせ ・山海里の恵みが満喫できるまち 南越前町 観光情報サイト
・南越前町役場 産業振興課   TEL:0778-47-8002
南越前町商工会         TEL:0778-47-2174

参考文献 ・現地で入手のパンフレットや説明板
・関西電力(株) 原子力事業本部 地域共生本部 広報グループ の
   関西電力の地域交流誌「越前若狭のふれあい」2010 No.26 (平成22年7月31日 発行)
・南条町教育委員会作成の『史跡杣山城と瓜生保』

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