本保陣屋址

整備された本保陣屋址正面と址碑
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整備された
本保陣屋址正面と址碑
奥からの陣屋址入口方面(北方面)
奥からの陣屋址入口方面
(北方面)
 徳川幕府は、幕藩体制を維持するため全国の枢要な地に直轄の領地を設けて陣屋を置き、各藩の動静を監視するとともに領民を特別に保護して幕府の権威を示し、諸侯統御の戦略とした。これらの地を天領と称した。

 本保陣屋はその一つであり、享保6年(1721)から慶応4年(1868)に至る約150年間越前の幕府領支配の中心として存在した。
 東西南北それぞれ約40間1,600余坪(約5300平方メートル)の敷地に塀を巡らし、長屋御門、本保御用場を始め米倉付属建物など建坪延200余坪の建造物が建ち並び、現高山陣屋に匹敵する全国有数の陣屋であったと言われる。

 陣屋の支配範囲は時代により変動があったが、文化年間には丹南地域を含め坂井郡・大野郡遠くは白山山麓に及ぶ百七十五ヶ村、石高五万五千石余を支配し、この地域における政治経済文化の中心であった。(中略)

本保陣屋の建物復元図
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本保陣屋の建物復元図
 
陣屋址近くの水路として残る堀跡
陣屋址近くの
水路として残る堀跡
 時は移り、慶応3年(1867)徳川幕府は大政を奉還し、本保陣屋はその幕を閉じた。
 明治3年(1870)本保県が設けられ、旧陣屋を拡張して県庁としたが、その後明治政府の命により惜しくも敷地建物の一切は解体売却され、当時の面影を止めるものは何一つ残っていない。(後略)
 ← 平成12年10月(二千年記念)
   ※ 本保陣屋整備推進協議会の碑文から抜粋してご紹介しました。

 江戸時代に幕府の陣屋が置かれていたそうですが、明治維新後、福井県初の「本保県」として県庁が置かれ、1年後に福井県に吸収されると、建物は全て売却されて畑地になってしまったそうで、遺構としては、近くに用水路として残る堀跡ぐらいです。
正面入口からの陣屋址内部(南方面)
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正面入口からの陣屋址内部(南方面)
 
陣屋址西側道路にある入口の案内看板
陣屋址西側道路にある
入口の案内看板

 本保陣屋址                                  平成22年8月15日時点  
◇所在地 ・福井県越前市本保町18 (吉野小学校の南150m程)
◇交通 ・JR北陸本線 武生駅から旧北陸道(国道365号線)に入り、小松交差点にて
   県道28号線に入り、1.8km程北上して本保町への細い道を吉野小学校へ
   水路沿いに250m程進むと、正面に本保陣屋址の案内板あり、そこを左に入る。
   ただし、車の場合は、一旦左に進み、右周りに250m進み、本保陣屋址の
   案内板のある、細い路地を右に入ると、駐車場有
◇駐車場・陣屋址前に3台分の専用駐車スペースあり
  (ただし、そこへは細い路地道に入る必要有)
◇問い合わせ ・観光・匠の技案内所     TEL:0778-24-0655
 ※ JR武生駅前武生パレスホテル1F
   【開館時間】午前9時〜午後6時 年中無休(ただし、12月30日〜1月2日は休業)
・越前市観光振興課      TEL:0778-21-3307
・越前市吉野地区自治振興会 TEL:0778-23-4600

参考文献 ・現地の「本保陣屋整備推進協議会」の説明碑
越前市のホームページ

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